社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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またペテン師に戻ろうと思う

 
2017年11月5日という特別でもなんでもない日に、昔の言葉を見つめて考え込んでいる。進歩というものがないのか、なにひとつ逃れられていないからこそ、曲がりなりにもこの森の中にとどまり、そして続けられているのか。

Twitterは分かりやすすぎる。

どうやら僕は、やはりこのノートを愛しているらしい。

だからまた少し、カタルシスという名のペテン師に戻ろうと思う。

三太郎、お前は今、どこにいるんだ?
お前の出番だ。
 

夜が昼を侵食する

 
「昨夜からずっと、この件に関して、神様が下りて来るのを待っておるところであります。」

そんなメッセージを送ってみた。
それはそうなのだけれど、なんだかしっくりこない。

「たぶんターゲットはコアな人ではなく、もうちょっと開かれた普通の人たちではないかと思っております。そういう意味でいうと…」云々。

午前中のやり取り。「開かれた普通の人」なんて、至極つまらないことを考えついたのは、たぶん朝の明るい日差しの所為だ。きっと、それがよろしくなかったのだと、夜になってギクシャクしている。

長い会議をようやく終えて、まだまだ健康的な明るさに満たされた時間に、慌てて呟いた呟きがどうもおかしい。
「衆議院法務委員会で、テロ等準備罪新設法案が強行採決によって可決された日に、6時間もの間、全ての人と楽しむことを企てる組織を立ち上げるための会議で、俺は“共謀”を画策しながら、そして疲弊していったのである」

どうも近頃、昼と夜が逆転している。…というか、夜が昼を侵食し始めたようで、これは実に危なっかしいことだと思っている。だが、夜から昼への通路を確保しておかなければならないことも事実なのであって、しかしながら、夜の神と昼の神は全く相いれないということを忘れてしまうほどの異常な精神を、今の日常の中で抱え込むなど、たぶん今の自分は耐えられない。深夜ぼんやりと待ち続けていた神を、翌朝の頭脳で無自覚に解釈しようなどという間違いを知らず知らずに犯してしまうというのは、これはかなり厄介な状態であって、そんなことだから、思わぬところで、夜はここぞとばかりに昼を侵食し始めるのである。

ターゲットなどというつまらない広告代理店の発想はきっぱりと捨てて、その上で冷静な独りよがりの戦略をもって、夜の怪物を利用しなければならない。

俺の昼は、夜に浸食されたフリをしている。
 

個人的な理由

 
暮れの、一度きりの不摂生。元日から目眩と頭痛が治まらず、声も掠れて出やしない。昔は毎晩午前様、朝から移動して、仕込んで2ステージ、バラして宿で遅い飯を食い、それからまた飲みに出る、それを何日続けても、声だけは健在だったのに。

何故か、3.11の年にあったことを、あれこれ思い浮かべている。
家族のこと。つまりそれは、身勝手で個人的なこと。

寝ていると増々具合が悪くなる。
だから這ってでも事務所へ行くのである。仕事があるからではない。何度でも言う。寝ていると具合が悪くなるから。身勝手な、個人的な理由。
 

上滑りした慣習

 
朝から酷い目眩。
PCのトラブル。

久しぶりに自宅に帰って蕎麦を食うのだが、もう何年も前から、暮れと正月を結ぶ上滑りした慣習にイラつくようになった。
(目眩が習慣になる? 勘弁してくれ…)

すっかり年が明けるまで、どこかに身を隠していたい。
 

どっちが性に合っているかなんてどうでもいいこと

 
ツイッターとやらの話。

呟きたいことは呟いてはいけないらしい。それでもやっぱりなんとかして呟きたくて、謎めいた文章を捻くり出して、敢えてタイミングを外して投稿してみる。それでも、というか、それだからというか、思わぬところで
「俺のことか?」
みたいな、訝しげな反応が起こる。たいがいそれだけ、問いただしてくる者がいるわけもなく。問われなければ、否定することもできないわけで、放っておくしかない。
でもこれこそ文学的普遍性の源なのである。つまり、ペテン。

リアルな知り合いのフォロワーは、黙って去っていく。

フェイスブックとやらの方は、そのまま何もなかったかのように繋がったママ。いったいどっちの方が性に合っているのかなんて、どうでもいいことを考えている。
 

傾いた隊列の行進

 
ふた月ほど前のこと…
「知らず知らずスケープゴードが作られてしまう」
そんな話をしてみたのだが。

弁護するつもりはない。しかし小さな町、もう致命傷かもしれない。どうしてこんなことになったのか、どれもこれも憶測に過ぎないが、貧して鈍したのが発端に違いないと、僕はそう思っていた。

心から思う。切実に思う。
「子供には罪はない」
昔なら親は親、子は子、助けてくれるおせっかいがいた。しかし、今やそれは悪でさえあるらしい。親がダメだとその子供まで虐められるのか。子供たちに差し伸べる手などどこにもなく、陰からはいくつもの光った目が、ジッとこちらを伺っている。卑猥なヒソヒソ話。

当たり前と言う貴方たちは、ひたすらに悲しくないのかと問うてみるのだが。

子供たちとはとことん仲良くすると俺は言う。すると鬼になれと叱る「良心」とやら。
鬼というものを取り違えている…そう思ったが、黙っていた。

この小さな町の正しさは、目を覆うばかりの明るい正しさ。

それから積み重なっての今日。
みんなに嫌われているんだよ、ね、と、数少ない友だちが言う。
「なんで」
「貧乏だから」
それを黙って曇った表情が聞いている。虚ろが襲って来る。
「関係ないのに、かわいそうだよ」
子供たちの世界はひたすらに惨く。

種を撒いたのは大人。自分の子供たちの前で、その芽に水を遣るたくさんの親が、コクトーの子供たちを育てていく。
このおぞましく傾いた道徳は、あの狂った宰相と無関係ではないと、俺は確信している。傾いた隊列の行進。兵士のだれもがその傾きに気づかない。自分が兵士であることすら忘れてしまったくるみ割り人形たち。

insanus!
murderous ásetningi

俺はといえば、堆く積まれたラテン語で書かれた古書のある部屋から、子供たちを置き去りにしたその光景を、強烈な目眩とともに眺めていた。
 

「書斎で怒鳴ること」

 
表の夜から言葉を強奪して来る。

考え方を同じくする人にしか通じない言葉を、敵地で闇雲に叫んでも、本当に聞いて欲しい人には届かない。だからこそ右でも左でも、思慮深い人は悩み、対話できる言葉を探す。しかしきっと、時には怒鳴らなければならない。そして礫を投げつけられるのだ。例えば、梨の礫を。

そうして「対話」というやつを求めて、去年の暮あたりから僕は「いい人」になってみた。

デジタルマンモグラフィーとやらで調べられたら、癌のひとつやふたつ見つかるに違いない。断固そんな気がしている。問題はそいつらが暴れだすかどうかなのだと。といって、笑っていたって何の効果もなく、どうやら神様はサイコロを振るのである。そんな神など、人にとって木偶である。僕は天に向かって唾を吐く。
原発は、不要である。

天に向かって吐いた唾が神に届くわけもなく、降ってきた礫に、僕はしたたかやられているらしい。だから仕方がなくて、深夜、無性に怒鳴っている。「いいね!」とは何のことだ? いったい何処がいいというのか!!…と。

さあ、もう詮無いことは放りだして、眠れぬ夜を眠るのだ…
 

「不在」のありか

 
母親も弟も、抗うつ剤を飲んでいた。今も飲んでいるのだろうか、知らないし興味もない。
朝方ふと、ひどく沈んでいる自分に出会う。違う違うと無理に口角を上げてみたり、再び目を閉じてそのまま夢の名残に身を任せてみたり、数十年間、何とか書くことで踏みとどまってきた。それなのにどうしたことだろう、今朝の僕は、眠りと覚醒の狭間で、「何か」の不在に脅かされている。その「何か」を、あれほど恐れていたのに。

起きて数分も立てば、FBとやらでイベントに招待する「友達」を選択し、「送信」ボタンをクリックしている。反応のないことを知りつつ、僕はそうしたある意味で絶望的なことどもに平然としていられるほど無神経な男に変貌してしまったらしいのだ。一歩踏み出せば、そこには新しいたくさんの顔が見える。だが振り返れば、置き去りにした僕自身の思いと、大切であったはずの人たちの後姿と、あの「何か」。かの「何か」を、今一度確認するために、僕はまた書き始める。
 

何が表で何が裏なのか。

 
会社でCDを作って売ったり、公演をプロデュースするようになってから、ハッタリかまさざるを得なくなった。ハッタリのメッキはアッという間に剥がれるが、剥がれるまでのちょっとのスキに、きちんとこちらをあちらに見せられるかが勝負である。詰まらない。しかし悪いのはどっちなのか、定かでない。

ハッタリが効かない方が多くて困る。ハッタリは諸刃の剣で、失敗すると取り返しがつかない。しかし信頼ある看板の力は絶大。つまり、ハッタリにもどんな看板にも関係なく相手が見れる人は、場末の飲み屋以外では滅多に出会わない。さてそういう僕はと振り返る癖がついてから、どうも寝つきが悪い。

昨夜呟いた呟き。真意は、結局呟いた僕自身にしか分からないのであって、そんなものを表のブログにイケシャアシャアと並べておく必要もないだろう。ただただ俺は、10年も前の俺なら江古田まで出向いて行くことなんぞ決してしなかっただろうし、ましてやそこでハッタリかましたりなんて絶対にしなかったはずだということを、主張しておきたかったらしいのだ。

日が変わって、俺は自分が納得する理由をでっち上げたのである。

見慣れた風景の中で山菜採りのために散策する趣味はない。この場所に立ち続け、目を凝らし耳を澄ましている。突如見切ったと歓喜する。
「あの、これ、落としましたよ」
「いえ、捨てたのです」
明朝、新しい画像を3枚、FBに投稿してみることにして、やっと眠れそうになった。

その3枚の画像はすべてハッタリ。3.11直後のNHKを語ってくれた若き女性と、福島に行ったという証拠写真と、そしてかの先輩とのツーショット。

ツイッターなんてものを始めて、その「呟き」とやらをブログで拾っているうちに、表と裏の区別がつかなくなった。さらにそこにFBが加わったりして、こうなると、今まで表だと思っていたものが実は裏なのかもしれないという気までしてきた。

つまらないことを書いた。弁解ばかり。こんなもの、裏でも何でもない。
 

20年来の夏の記憶が消えるときを待つ

 
誰もいない事務所で、熊のように当てなく、蝸牛のように愚鈍に、僕は裸足で歩き回っている。外はひんやりとしてるが、10月だというのに、このガランとした室内は、暑すぎた昨日までの熱気から、いまだ解放されずにいるのである。

無駄な熱も熱に変わりなく、冷ますにしろ保つにしろ、自分で決断するしかないのだと、僕は絶望的に裸足で歩き回っている。

ふと、足の裏が汚れている。足を洗いたいと切実に思う。だが、流しの高さまで足を持ち上げる柔軟性に欠け、だからせめて頭を洗おうと思いたつ。身体を前屈みにする柔らかさなら、まで失ってはいない。そう思うと、もう足の汚れのことなど忘れてしまった。

この汗ばんだ不快な感触から逃れたい。
まもなく、屋外の冷気がこの部屋の空間を侵食してしまう。そうなれば、汗をかく能力がこの僕にも備わっていたという曖昧な記憶も、きっと跡形なく頭蓋骨から消え失せるだろう。

それまでの、もう少しの辛抱である。
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