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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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ベジタリアンになっても食べるものに事欠かない国

 
5年ぶりぐらいだろうか、●●氏に会った。彼は日本人ではない。というか、彼は日本生まれだから、もしかすると国籍は日本なのかもしれないが、御両親はイスラエルから来た方だと聞いた。
「僕は周りの子どもたちと何も変わらないと思ってました。でもある日突然外人だった」

久しぶりに会った彼は、ベジタリアンになっていた。ヨガをやっていて、その関係で勧められたこともあったらしいが、それよりも、屠殺の現状を知ってしまったことが大きいと彼は言った。今知ったのだが、PCで「とさつ」と入力しても、「屠殺」とは変換されない。

体調は変わった?と聞けば、悪くないという。
「ベジタリアンになると性格が穏やかになるらしいけれど、もともと穏やかだったから、効果が分からない」と彼は笑った。

「日本は、そのテの仕事を卑しいものとして、ある一部の人たちに押し付けた。そして自分たちは手を汚さず、嫌なものは見なくても済むようにした。結果、大切な感謝を忘れた」
「食肉にされる動物たちの扱いは本当に惨いんです」
「ちょっと前の沖縄では、家で大切に飼ってきたヤギや豚を、ハレの日に自分たちの手で殺して食べた。アイヌは、熊が獲れれば熊神としてその精神を神の国へ返す祭りを盛大にした。マタギも獲物を愛しく思い決して余分に獲らない。俺の千葉の田舎だって、僕が行くと、さっきまで庭を駆け回っていたニワトリを、特別に絞めて料理してくれた」
だからたぶん、問題はそこではない。きっと、食肉が「業」になっておかしくなった。

彼はバイリンガルのナレーターである。よほどの売れっ子でもない限り、仕事を選べるナレーターを僕は知らない。しかし彼は、原発と煙草の関係の仕事は断るのだという。その意思は、事務所には伝えてあるが、そんな話を他のナレーターとすることは一切ない。だから、彼がそういう関係の仕事を受けないということは、他のナレーターたちは知らない。

仕事を受けるか否かの線引きは、人間の体に直接害を及ぼすかどうか。そういう商品のCMのナレーションを受け持つのは、人間を害することに加担するのと同じだと彼は考える。仕事の話が来た時にちょっと怪しいと感じると、ネットなどを使って徹底的に調べ、結果これはダメだと判断すればきっぱり断るのだという。

ベジタリアンの彼は、人間と動物を区別しない。ある時、ペットフードの仕事が来た。調べた。動物に悪い影響を与えるという噂が大量に見つかった。彼はこの仕事を断った。

「そんなに金持ちじゃないし、いつどうなるか分からないような仕事だから、MCとしての価値を認めて自分を選んでくれたのに、それを断るのはとても厳しい。でも、この仕事が嫌いになりたくないから」
「偉いね、でも例えば、事務所に迷惑かからないかな、とかは…」
「簡単です。その日スケジュールが空いてないと言えばいい。クライアントには本当の理由は分からない」

「今のマスコミのCMは、全てでっかい広告代理店に歪められているとは思わない?」
「本当のベジタリアンは顔のあるものは全部食べないのです。だから本来は魚もNG。でも僕は魚は食べる。肉だけは食べないと、僕個人でそう決めたということです」
「なるほど…」

焼肉屋での忘年会。彼だけ魚介を焼いて食っている。炭火の上のでっかい海老の眼が、こっちを睨んでいる。日本向けの海老の養殖が、東南アジアのマングローブの森を壊しているなんてことまで気にしていたら、本当に食うものなんかなくなるに違いない。

「イスラエル支援企業は?」
実に僕は、危なっかしいことを聞いたのだ。
「なかなか本当のことが伝わって来ないから…」
「でも、ガザ地区のことはあまりにもだからさ」
「難しいですね…」
●●氏は、あくまでも穏やかであった。

二日続けて芝居を観て、この日も福島関連の映画を見に行き、その上映後のトークでは立ち入り禁止地区でたくさんの家畜が死んでいるというような話も出た。そのあとの忘年会だった。だから次の日、さすがに疲れて、映画を観に行く体力などなかったのだが、彼と話をしたから、予定していた映画、パレスチナのビリンの町を記録したドキュメンタリー映画、こいつは何があっても行かねばならぬと思い直したのである。

観終わって数時間が経った。さてと、いったい何が語れるのだろうと、今、僕は思っている。それでもできるだけ早く書き残しておかないと、失ってしまいそうな何かがあって、こうしてPCに向かってキーボードを打っているのだが。

いずれ表のブログにもきっと何かを書くに違いない。今日のところはだから、昨日の会話と妙な繋がりのあるいくつかの場面を、ただ吶々とまずは並べてみようか。

庭の木の枝にニワトリが飛び上がる。ニワトリ小屋があるのに、何故入らないんだ。
「ニワトリの自由だ」

無垢なジブリールは、大好きなフィールがイスラエル兵に殺されたことを理解することができない。だが何週間かあとには、それを理解することになるのだろう、と、父であるイマードのナレーションが入る。その時はもうジブリールは子どもではない、と。

「ジブリールには、何でも見せるんだ」
スクリーンには、何かをジッと見つめるもう笑わないジブリールの横顔が映し出される。ジブリールの視線の先には、ヤギだか羊だか、大人たちが家畜を絞めている光景。真っ赤な血が流れ出す。
イマードは言う。
「生きる事は困難だ」

さて……。

イスラエル軍の暴挙が元凶だと、それは疑いないと、僕も確かに信じているのだ。しかし、それでもいつだって、ユダヤの長い歴史について僕が余りに無知である事に思い至って、そして口ごもるのだ。ただ、無垢だったジブリールに何の罪もないことだけはっきりしている。

アメリカと、そしてイギリスのことを忘れるわけにはいかない。けれど、そうなのだけれど、大国の巨大な責任を追及し始めた瞬間、パレスチナの本当の現実に靄がかかりはじめる。そして、無垢なジブリールを忘れそうになる。

僕は今、こう思っている。

ベジタリアンになっても食べるものに事欠かない日本とはいかなるものなのか。本来人間とは、家族のように育てた家畜を、時に殺して食べなければ生きていけぬものなのではないのか。その大切な「悲しさ」を忘れては、この世界から争いのなくなることなど、金輪際ないと自覚しなければならないのではないか。
もう少しで届きそうなのに、どうしても掴めない、指先にすら触れる事のできない想念、それは今夜見る悪夢なのかもしれない。

昨日、ああ、もう、おとといのことになったが、●●氏に、夢は何語で見るのかと聞いたのだ。すると彼は「見た夢はひとつも覚えていない」と穏やかに笑ったのだ。
 

死に到る方便

 
アイヌについて、「記憶の中の現実も、できる限り、書き添えてみようと思う」と、そう宣言してから、もう20日も経ってしまった。
だが、それがどうしたというのか。いったい、こんなややこしい独り言を読んでいる人などいるわけないのだから、宣言を守ろうが破ろうが、どうということもないだろう。

ただ書くことによってのみ、なんとか自分を支えていた時期があった。狂うかも知れぬという恐怖に、書かなければ死を選ぶしかないと、思い込んでいたことがあった。そこから逃れるためにのみ書き続け、そしてどうにか現実の手前まで這い出してきていたのである。しかし、というか、だからというべきか、あの頃、「アイヌ」は未だ方便であった。そんな失礼な話は無い。

今、再び書かねばならぬ事態になって気づいている。現実は、未だ僕にとって、やはり何ものかのための方便なのではないか。「生」は、何か永遠なるものへ到る道程の、単なる方便にしか過ぎないのではないか、と。

「生」に対して、なんとも失礼な話である。
 

(再掲)《1985年9月16日の旅のノート》

 
さて何を書こう。書くことがたくさんあるような気がする。だが、書く気力が無い。

14日。二風谷へ入る。「アイヌの里」なのだという。
翌15日、札幌。北大にて萱野茂氏の講演を聞く。(その前の民族学の学者の話は面白かった。)
その夜、フェリーに乗り、翌朝青森着。日本海沿いに車を走らせ、途中八郎潟の男鹿半島を一周して秋田へ。宿に着いて、ひと風呂浴びて、そしてこれを書いている。

アイヌのこと、この僕自身のこと、今日は重い。だからそのことには触れずに、別のこと、徒然に書く。
さて。

天気よし、本州はやはり暖かい……
するとほら、つまらぬことしか書けない。書けば重くなりそうで、滅入る。

《神なくして、あらゆる権威なくして、個人的な幻想もなくして、それでもなお人間同士語り合うことができるのか》
それだけが今の僕の課題であるべきなのだ。そして、いつしかそんな時が来るという確信を持っていること。

《誠実であったことなど一度たりとも無かったのかもしれない、しかし誠実であろうとし続けてきたではないか》
その自信を失わぬこと。

ああ、結局自分のことを書いている。考えてみれば、それ以外に書くことなどない。
(1985/9/16)
 

1985年《旅のノート》の続きについて

 
1985年の夏の《旅のノート》を、二風谷の手前まで公開してきて、そこですっかり止まってしまっている。この先をどのように続けようか、ずっと迷っていたのである。

たった一日の二風谷の事を、僕は今でも鮮やかに思い出すことができる。しかし当時の僕は、その日の出来事を具体的に書き記しておくことができなかった。それから四半世紀を隔てて、怪しげなブログなるものでその日のことを書こうとしているわけなのだが、さてどうしよう、当時のノートをそのまま公開するのか、あるいは今も鮮やかに残る記憶を元に、改めて書き綴るほうがいいのか。

アイヌの芝居の初演は翌年の1月、そして夏には、二風谷公演を行うことになる。それまで、さらにはその翌年の87年まで、僕は延々とアイヌについて書き続けている。しかし、その殆どが詰まらぬ観念ばかりで、やはり具体的なことは至極簡単にしか書き残していない。出会った現実を、ことさらにちっぽけなこととして処理してしまおう、それによってそれまでの自分が傷つけられないようにというような、当時の僕の「あり方」が見えてくる。だが、今振り返って考えるに、やはり重要だったのは、僕が実際に経験したひとつひとつの具体的な「現実たち」であったはずなのだ。

もうそろそろ、始めなければならない。
とりあえず、無味乾燥な当時のノートを、そのまま転記してはみるが、記憶の中の現実も、できる限り、書き添えてみようと思う。

沖縄へたどり着くまでには、まだ一年半の時間が必要なのである。

 

頗る貴重なスペースを避けて

 
mixiとやらで、時々見つける次の文言。
「管理人様、貴重なスペースお借りいたします。」
頗る気持ちが悪い。
宮武外骨のコミュニティーを検索してみたら、三つも出てきた。 途端に興味が失せた。

戻った部屋で、ブログらしきもの思案中。
苛々している。 だから、過激になっている。

食わしてやらねばならぬものがいる。 猫三匹は多すぎる。
猫にも命があるなんて、口が裂けても父は言わない。食えなくなれば、猫を喰ってでも生き延びてみせる。

顔を顰める子どもたちよ。
おまえたちはエスキモーの犬のことを知っているか。
イオマンテの祭りの意味を知っているか。

南の琉球犬と、北のアイヌ犬は近い種類だと聞かされた。その境遇は同じなのか、違うのか。
支配するもの、攻め来たるものがいなければ、南の国は、人も犬も、豊かな恵みに包まれ、芥子の花に囲まれて、その一生を平穏に過ごせたに違いない。
過去を後悔しても、懐かしんでも始まらない。それが人間だったのだ。
子どもたちよ。君たちは、明日の自分を、どう描こうとしているのか。

だが父は何度でも言った。お前たちが飢えれば、父は三匹の皮を剥ぐ。そういう親を嫌って家を出た。孤独を装い、父である小十郎の思い出とともに、三匹の猫のことを忘れた欺瞞。
かつて、北の洞窟でヒカリゴケが輝き、南のガマで炊く水の中では骸骨のリンが光ったのだという。
今ようやく、父に倣って何度も自問する。イオマンテの祭りの意味を、お前は本当に知っていたのか。

「mixiとやらを管理する会社の担当者様、どこの馬の骸骨なのかは存じませんが、スコブル貴重なスペースと伺って恐縮するやら笑うやら、ならばたくさんお借りするのが憚られ、だいぶ端折ってmixiの日記にしましたが、全文お読みになりたいならば、こちらのブログらしきものまでご足労ください。」
 

寄せられたコメントと、その返答

 
「社長とは呼ばないで」の、【ひとつの記事】
http://uramapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-315.html

それに寄せられた、【あるメッセージ】

 「社長とは呼ばないで」という「ブログらしきもの」では
  このアイテムは閉鎖されました。
  このアイテムへのコメントの追加、投票はできません
 って……

 若き演出家の饒舌には閉口し
 人類館の舞台には、ピンとくるものがなかったわけですね
 きっと……

 被害者意識だけが強調されて
 加害者意識の欠落や
 二重三重の差別にたいする眼差しが欠けてたのでしょうか?
 単に舞台の演出や役者の質が良くなかったのでしょうか?
 取り巻く人たちが腐臭を放っていたのでしょうか?


それに対する、【僕の返答】

全てYESであり、NOでもあります。
若き演出家に、決して間違いはありません。しかし、何かが邪魔をして、僕はそれを彼のように声高に語ることができません。
舞台の質は、確かに高くなかったと言わざるを得ない。しかし、「人類館」は、それだけでは測れない。

被害者が容易に加害者にもなるという構成は、初演時から変わらぬ重要なモチーフです。
ただ、「琉球」が「アイヌ」等と「同列」に「陳列」されたことに対し、「アイヌと一緒に扱うとは何事だと抗議した沖縄」という具体的な視点を付け加えることによって、いったいどういう新たな言葉が「人類館」から生まれてきたのか、それが見たかったとも思うのです。これは、「日本」への同化という、極めてナイーブで重要な沖縄近代史の問題でもあります。
残念ながら今の「人類館」は、被害者が加害者に変貌するという「単層的な変化」をしか取り込めていません。ここに、被害者でありながら加害者でもあるという「重層的な同時性」という構造が導入された時、人間存在の普遍的な深層を包含するような課題をもあぶり出すことができるに違いありません。
その時、戯曲「人類館」は、さらに重要な作品へと進化することが可能になるだろうと思うのです。

取り巻く人たちは、みんな一生懸命でした。
腐臭を放っていたのは、きっと僕であり、その臭いに、したたか打ちのめされていたのもやはり僕だけでした。

舞台に感動した人たちもたくさんいたでしょう。
また、舞台に不満だった人もいたのではないかと想像もします。
ただ、「表現の質」にそれほどこだわった観客は、ほとんどいなかっただろうと思うのです。つまりあの日の大隈講堂は、劇場ではなく、むしろ研究室に近かったから。観客の多くは、舞台の出来不出来とは関係のないところで、「沖縄」という「テーマ」について考えていたから。
( 「表現の質」については、いずれお話したいと思います。)

そして、「人類館」を演じる役者が舞台に立っていた時の大隈講堂こそが、もしかすると現代の人類館であったのかもしれないなどという想念におそわれた者が、はたして僕の他にどのくらいいたのか、それは全く定かではありません。

「社長とは呼ばないで」をコメントできないようにしているのは、こんな正直な話をリアルタイムで公開すると、いろいろとやっかいなことになりそうだと気遣ってのことなのです。 まったくもってケツの穴が小さい。

というわけで、「社長とは呼ばないで」に対するコメントは、直接に個人的に送って頂ければ、必ず後日、ちょっとオブラートに包むことをお許し頂いた上で、公開させていただきたいと思う次第です。
少し落ち着く時を待って。
 

(再掲)《1985年9月12日の旅のノート》

 
10日の、札幌の夜のこと。
今度のアイヌの芝居のことを記事にしてくれるというので、毎日新聞札幌支社の報道デスク某氏と会食。学生時代に、この劇団でアルバイトをしていたという縁。

「いいなあ、わかるなあ」、そう言っては彼は酒を注ぐ。こちらはまだ何もしゃべっていないのに、彼にはもうわかっているらしい。酔うほどに「お経」のように繰り返す。
「いいなあ、わかるなあ」。
何がいいのか、何がわかっているのか、こっちはちっとも判らない。よっぽど新聞社の仕事に不満でもあるのだろうか。男の得体の知れない思い込みが、僕らしかいない二階の座敷部屋に浮遊して、その場を支配している。

芝居に携わっているものに対しても、アイヌの問題に対しても、どことなく高みから見下ろしているようなところが彼にはある。現実を見ろというようなことを時々ブツブツほざくのだが、ならばその現実とは何かと丁重にお伺いしても、とっとと酔ってしまったその男は何も答えない。相手に伝える気があるのかないのか、内容のない言葉ばかりを連呼している。

「お前たちは雑魚だ」。
何を血迷ったのか、挙句に男は、なんの脈絡もなく、そんな事を言い出した。そして、今度はそれを連発し始めたのだ。

要は、ひどく酒癖の悪い男と酒宴をともにしてしまった不幸というだけのことなのかもしれない。しかし、それで済ましていいようなことなのだろうか。「雑魚」という言葉。終電車で泥酔したおっさんに絡まれたようなものだが、ここは終電車の車内ではない。初対面の相手に「雑魚」とは、酔態だからといって許される言葉ではないだろう。それまでは、惨めなコンプレックスでも抱えているのかなと、白けながらも同情していたのだが、ことここに到って、こういう男が新聞を通じて何かを発信しているということが、とても許せなくなってきた。妙な空気の中で飲んでいるから、こっちも妙な酔い方をしている。
「酔っ払いの戯言と我慢して聞いてやっていたが、もう限界だ。お前こそ雑魚だ。」
怒鳴ってしまって、こっちも結局雑魚に堕した。

11日の夜は浦河。三浦和義逮捕。民放全局あげての報道。まるで天下の一大事だというふうに。

アイヌのこと。
こう書いただけで気分が重い。やはり、どこかとても醒めている。毎日新聞の馬鹿記者との一件で、ますます萎えてきた。見なければいけない現実はたくさんあるに違いない。しかし、ああいう低劣な「現実」に、今後も煩わされていかなければならないのか。
解決すべき問題が、すべて現実をどう対処するかというだけなら、その現実が低劣であろうが上等であろうが関係はない。そしてそれは政治で解決すべき事柄であって、芝居の出番などそこにはない。現実を喧伝するために作られた芝居もあるのだろうが、それは芝居ではない、とういか芝居でなくても構わぬものだ。芝居が芝居であるためには、芝居でなければ伝えられないものを包含しているからだ。
ということはつまり、芝居に関わる者には、現実をいったん棚に上げて考えなければいけない課題があるはずなのである。そして役者である限り、俯瞰した場所からそれを考え始めようとしてはならない。今ある自らの地点から、出発しなければならないのである。

僕の気分がちっとも高揚していかない原因が、ここにある。

「真理」とは、全ての個に共通したものであるべきだ。言い換えれば、そうでなければ、それは「真理」ではないということだ。ならば「真理」とは何か。現実にその発見が可能であるかどうかは関係がない。現実は、棚に上げている。重要なことは「真理」とは何かと問い続けることだ。
「真理」は宗教だけのものではない。人は哲学する存在である。哲学もまた「真理」を扱う。だから宗教も哲学だが、「民衆」の前では、宗教と哲学は、全く違った相貌を現す。宗教は、「私たちの真理」が苦しむ人々を救うのだと言って君たちを誘う。だが哲学は、君を苦しめる。苦しみたくなければ、君は哲学になどには近づかぬ方がいい。安心していい。君を哲学の世界に誘うものは誰もいない。

僕は、現実を忘れ、「真理」というインターナショナルの極致を、孤独に、絶望的に考え続けてきたのだ。しかし今、「アイヌ」というなんとも厄介な何ものかが、僕の気分を重くしている。「真理」によって絶望の淵に追いやられてしまったことに較べれば、はるかに軽症なのだが、余命3年の癌よりも、今日の頭痛に苦しめられる不快感とでもいうべきか。
「民族性=ナショナリズム」復権へのベクトルを正しい方向として受け入れることなしに、「アイヌ」問題を語ることはできないだろう。つまり、僕の正しいとしてきたベクトルとは真逆なのである。この問題を、どのように僕の思考回路に組み入れるのか、今のところ、手つかずである。

僕自身の中にあるどうしても拭い落とせない「日本人」としての特性を発見することは、僕にとって認識経路の一つの過程であり、決して目的とはなり得ぬものである。しかしアイヌの人々にとって、「アイヌ」は「目的」である。たとえ「アイヌ」であることを捨ててしまいたいアイヌがいるとして、今の「アイヌ問題」の中では、それはネガティブな「アイヌ」として捉えられてしまうだろう。「アイヌ」という民族性を目指すことこそがポジティブなのだ。「文化」を語る地平では、アイヌがアイヌ以外であることを快く思わない。
一方僕にとっては、日本人であることは極めてネガティブなことであって、日本人ではないところの自分へということにしかポジティブな道を見出すことができないのである。要するに、僕は日本人であることから解放されたい、そしてそれが正しいベクトルだと考えているのである。

この本質的な違いを見ないで、和人が「アイヌ文化」を理解することによって差別や葛藤がなくなるなどと考えているとしたら、大きな間違いだ。
僕は僕なりに、哲学的に、形而上学的に「アイヌ」にアプローチする以外にない。そしてそのほうが、安易な政治と文化のごちゃ混ぜより、ずっと正当だと考えている。

だが、やはりどこか、気が進まないのである。

明日は13日の金曜日で釧路、公演後、帯広へ。そして翌14日に、いよいよ二風谷に入る。
(1985/9/12)
 

(再掲)《1985年8月30日の旅のノート》

 
紋別での公演を終えて美瑛へ。劇団の子の紹介で、かつて彼女がよく来ていたという民宿に泊まる。
若者たちの駆け込み寺のような宿といったら、彼らは怒るだろうか。彼らの思い込みが強ければ強いほど、彼らの精神も、この拠点も、とても脆弱に見えてくる。
15分かけて風呂に入りに行くことも、6畳の部屋に5人寝ることも、彼らにとっては問題ないことなのだろうが、我々は仕事で来ているのである。ひと夏ここのヘルパーとして過ごす若者たちの、妙に馴れ馴れしい応対、それが人を喰ったような失礼な態度であることに、彼らは気がつかないのだろうか。無職であることを、執拗に主張する彼ら、もしかすると、アルバイト代は払われていないのかもしれない。宿の主人は、我々が仕事の旅で来ていることを知っていたはずである。僕と同い年の人のよさそうな主人は、さすがに恐縮してはいたが、若者の無礼を咎めることまではしない。見て見ぬフリをしているのか、馴れ合いの無神経にどっぷりと浸かったサマは、客商売の大人の仕事とは到底思えない。
君たちは、何かから逃げてはいないか。君たちがまとっている鎧が、その証拠ではないのか。君たちは、この北海道に何を求めて、ひと夏過ごそうとしているのか。
(アイヌのこと、君たちは知っているのだろうか)
君たちの青春に対して、僕に、共感は一切ない。
(1985/8/30)
 

歌舞伎と言葉と俳優と。

 
歌舞伎を観た。
かのスタニスラフスキーの俳優修行、その一部だけが訳されて、スタニスラフスキーのシステムは、新劇のバイブルとなった。「俳優修行」を読んだことのない若い役者たちは、畳の上で秋刀魚(さんま)になって、這いずり回って見せた。それができなければ一人前の役者にはなれないと、彼らは思い込まされていたのか。しかし、自分が秋刀魚であると信じることができるような巫女的能力の持ち主は、女性以外にはいない。
鈴木忠志は、女性は全て根っからの名優だが、男でまともな俳優などみたことがないと言った。確かに、俳優にはゲイが多かった。今は知らぬが。

今、畳の上で秋刀魚になれる思い込みの激しい役者など、女優にもいない。どうやら、現代人は分裂病気質というものにとても寛容になった。全身全霊を賭けて秋刀魚にならなくても、秋刀魚を演じることは出来る。いや、むしろ分裂し白けた自分がいなければ、秋刀魚などになれるわけがない。
そうして、男性にも上手い役者が増えた。多分、自分の中にある何パーセントかの女性的才能を発見し、そしてそれを容認してうまく使いこなしているのに違いない。100%の女性も、100%の男性もいないのだから。

モスクワ芸術座の役者が、畳の上で秋刀魚になるような訓練をしているのかというと、全くの大間違いである。出番寸前まで、袖で馬鹿話をしている。だが一度舞台に出れば、彼らのリアリズムの演技は、見事であると聞いたことがある。それが伝統の力なのだと。

言葉が先にあり、まずはともかくその言葉を発してみること。感情は後からついてくる。感情があったからといって、演じることはできない。それが俳優修行の、訳されなかった続きである。

しかし、いったい言葉とは何なのか。「俳優修行」は俳優論・演技論であるから、言葉の根源を問う必要はない。言葉の根源を問うには、まず肉体を切り離して思考せねばならぬのだが、肉体不在では俳優論も演技論も成立しない。だが、敢えてそれを問いたいと思う僕の性癖は、どうやら昔とあまり変わってはいないようである。

つまり、アイヌを考えること、沖縄を考えることは、形而上の課題を一向解決することのできない僕にとって、やはりとても扱いにくい重荷なのであるということを、どうやら僕は言いたかったらしい。アイヌや沖縄の問題は、肉体を除外しては考えることはできない。

歌舞伎とどういう関係があるのか。新春に歌舞伎を観たくらいで、なんでこんなことを考えているのか。芸談風なことだけを語っていれば、もう少し笑って理解してもらえるだろうに。
ともかく、歌舞伎を観て、当然のことながら離れがたく肉体に支配されている自分を発見したということらしい。
 

破綻し、言葉を失っていく。

 
今日も、破たんしている。

整理券をインターネットからダウンロードして、なおかつ先着順にするということに、どういう意味があるのか。整理券が何枚ダウンロードされたかを管理しているならともかく、そうではないと関係者から聞いた。つまり、何枚整理券が出回っているのか、全く把握してはいないのだと。ならば単なる先着順と、どう違うのか。

しかしそれが決められたルールなら、それに従って並ぶつもりでいた。
ところが、あちらこちらから招待券を準備しているという連絡が来た。とてつもなく忙しいから、30分でも事務所に長く居られるのはとても有難い。

大隈講堂前には、たくさんの人が集まっていた。僕の席は、すでに確保されているらしい。こういう特別待遇は、なんとも申し訳ない。差別を告発する伝説の舞台、すべての観客を同等に扱う、そう発想するスタッフが、一人や二人いなかったのだろうか、などと、勝手なことを思ったりする。
案内された席は、たくさんの招待席の中にあった。できればご遠慮申し上げたかったのだが、知った方々の手前、そうもいかない。

1903年。大阪天王寺で開催された博覧会。「人類館」というパビリオンに「支那」「朝鮮」「アイヌ」「台湾生蕃」「琉球」「印度」「爪哇」「バルガリー」の人々が、生身で「展示」されることになった。
清国などからの抗議によって、「支那」「朝鮮」の「展示」は中止される。
開館後、沖縄もまた抗議を開始する。
「どこから連れてきたのかわからない娼婦を琉球人と称して、沖縄をアイヌや生蕃と同じように扱うとは何事か」

開演前、延々と主催者の挨拶があった。
なるほど、ここは劇場ではないのだと、改めて思った。そうして周りを窺うと、シンポジウムのような雰囲気がしないでもない。

差別されるものが差別する側に変わる、それがひとつの大きなテーマだが、「沖縄」が「沖縄」自身を差別するという構図までが限界である。「アイヌ」も「生蕃」も、置き去りにされている。
しかし、それを理由に、この舞台の価値を云々するつもりはない。出発点は、ここでもよい。

初演から30年以上の時を隔てて、例えば日の丸を焼き捨てる場面などは削除された。この改変の理由は何なのか。時代が変わったということか。それも確かにある、と思う。だが変わらぬことが多過ぎる。何かを恐れているのなら、断固違う。

しかし、今日の僕が破たんしているのは、そういうことではない。

今の沖縄ブームこそ、巨大な人類館なのではないか、シンポジウムで、学者はそう言い放つ。
その指摘は、沖縄の女性を妻に持つこの僕自身をも刺す。

だが、それも今日の破たんとは無関係だ。

僕の斜め前に座ったひとりの「ウチナンチュ」。その人は、3人の出演者が拍手喝采に笑顔で答えている時にいたっても、腕組みを決して崩すことはなかった。
「この芝居は、やはり3人で演じるべきものだと思わせて欲しかった」と、後で彼は語った。

ロビーに、3人の役者が並んでいる。インテリたちは、彼らのところへ殺到するような、そんなハシタナイことはしない。
「おお久し振り、今なにしてるの」などと、それぞれ別のところで、再会の挨拶などを交わしている。
3人の役者が、とても小さく見える。
ここが、現代の人類館なのではないか、そんな錯覚に襲われて、僕は身震いをする。
はたして観客は、一冊の優れた解説書を読むのとは異質の、見知らぬ何ものかに出会ったのか。

お芝居ごっこ。

やはり招待された若き演出家が饒舌に正論を述べる。
「登場人物たちは、陳列されていなければならなかったのに」
「女は娼婦なのに」
「調教師は圧倒的でなければならないのに」
彼は、今日の舞台に、何を見たのか。

見ようとしなければ見えぬものもある。確かにそれは、プロの表現者が使うことの許されぬロジックである。
しかし、僕は破たんしている。
いったい僕は何をすべきなのか、何を見続けるのか。はたして僕は、何を伝えようとしているのか。

僕は、破たんしていい、と思っている。
彼は、沖縄からの闇のような眼差しに曝された経験があるのだろうか。彼は、沖縄の何を知っているのだろうか。

「それはそうなのだが」
しかし、彼に同意することを、何かが妨げている。それは何なのか。
あのロビーでの3人の姿が、僕の脳裏から離れない。きっと、あの3人が、沖縄に生まれたからこそ抱えているであろう何か。そして僕は、言葉を失うのだ。

若き演出家が、饒舌に正論を述べている。

腕組みをして、舞台を凝視していたのと同じ眼が、僕を撃つ。沖縄云々を語る以前に、お前は、表現者ではないのか、と。

「あなたはどこのご出身ですか。なぜあなたは、沖縄に対して、自分をナイチャーと言うのですか。なぜ自分の出身地を言わないのですか」

若き大和の演出家は、それに同意する。
そう言えば、彼の出身地を、僕は知らない。

僕には故郷はないと、僕は破たんし、そして、愈々言葉を失っていく。

現代という名の人類館。
僕はそこに物見遊山でやってきたのっぺらぼうの宇宙人なのか。
いや、そうではない。ショーウィンドウに映ったおぞましい自分の顔を見てみるがよい。虚ろな眼は淀み、半開きの唇は紫に渇き、眉間の皺は友を寄せ付けず、お前の顔は、死相が漂いながらもなお未だ生臭い悪臭を放っているのだ。思考だけではなく、その顔もまた、破たんしている。

お前とは、俺である。
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