Posted at 1994.04.26 Category :
(日記原本)
4月26日、プロローグを補足する風景
……結石なら、いたって単純な影が映るはず。だがこいつは全く違う、〈何か〉の、異様な二層構造の影…… たとえどこかに結石が残っているとしても、この際そんなものはどうでもいい。もしも脇腹がまた痛むようなら、座薬でも出しますよ。そんなことより、こいつの正体を確かめる方が先です…… そんなこと? 昨日の、あの耐え難い激痛が〈そんなこと〉なのか。なるほど、そういうことか…… そんならとっととカタをつけてくれ…… しかし、精密検査は、今日すぐにという訳にはいかないらしい。もどかしさに、僕の体のどこかが揺れている…… あのう、椅子に、お掛け下さい、と看護婦に促される。……最初から座らずにいたのか、それとも、知らぬ間に立ち上がったのか…… 手帳を開き、舞台の日程の合間に、いくつもの検査の予約を入れ込んでいく。何があったって休むことの許されない仕事…… 一週間や二週間でどうなるもんじゃないからね、焦らなくてもよいと、僕に向かって穏やかにそう言った老医師が、急ぎなんだよ、もう少し早く、なんとか予約入れられないのか、と、厳しい声で内線電話の受話器に向かって喋っている…… 一秒は、一分を六十等分してはいない。時間は不整脈を打って流れている……
小笠原の島への旅。遊びではない、仕事の旅。父島と母島の学校が会場、たったの2回の舞台だというのに、まるまる一週間も費やさねばならないのだ。 ……仕事なんかしている場合じゃないと思うが…… 親が死んでも休める仕事ではないのです…… 死ぬのは親ではなく、君自身なのだよ、と、そう言いたかったのかもしれぬが、みつくちの老医師は、首を傾げただけで後は黙した。検査と検査の間の、遠い南の島での《夢》のような時間、真っ青な恐ろしい海の色は覚えているが、空の記憶が僕にはない。笑い声は耳に残っているが、笑った君の顔が思い出せない。ならば《夢》は、きっと悪夢だったのに違いない……。
CT、DIP、MRI…… 予測を裏切るような結果は、何ひとつやってこない。目星をつけられた獲物は、徐々に追い詰めてられていった。それは、駄目押しの連続であった。しかし、結局のところ、追い詰められていたのは、見知らぬあの異形の影ではなく、この僕自身だったのだ。やりきれぬほどの長い時間……
腎細胞癌という名の、直径4㎝弱の病巣をその中にしっかりと閉じこめたまま、僕の右腎臓は丸ごと摘出された。老医師に替わって執刀した若い医師が、たった今摘出した腎臓を、銀色の皿に乗せて手術室から待合室へ現れた。確かに腫瘍に侵されていたということを患者の家族に示すために、僕の腎臓は輪切りにされてあったという。その時の白いゴム手袋をはめた医師の手が、「神さまの手に見えた」と、母親は後で僕に話した。その「神さま」から、癌細胞を散らすことなく手術は成功しましたと聞かされた家族は、もう大丈夫だと安堵している。しかし、その「神さま」が、三人に一人の確率で転移する、と僕に告げたのだ。
それでも家族は、もう大丈夫だと、安堵したフリをしている……
「だけどね、症状のほとんどない腎臓癌が、この程度の段階で発見されたんだから、幸運だったことには間違いないさ……」
もし仮に生き延びる事ができたなら、僕は二つの偶然に救われたという事になる。まずは、実にいい時に結石が出来た、それが幸運なひとつ目の偶然。だがその幸運も、もしレントゲンに石が写ってしまえば、僕のカルテには腎臓結石と記入され、超音波検査を受けることなく、痛み止めを飲み、石が出ていくのを待って診察を終えていたはずなのだ。ところがその石は、微妙なタイミングで、レントゲンに写らぬように、僕の体から出ていってしまったらしいのだ。それが幸運なふたつ目の偶然。偶然? いや、こんなこと、何かの必然といったようなものが無い限り、決してあり得ぬ奇跡ではないかと、今の僕には感じられるのだ。血尿と激痛という信号を発した後、見つけられることを拒否して姿を消したちっぽけな小便の化石、その《奇跡》が無ければ、僕はすぐそこにある「死」に、今も気付かずにいただろう。
そうして僕は、百パーセントの死から逃れた。死の確率は、三分の一に減ったのだ。つまり、三分の二の生を、僕は手に入れたのだ。……けれども、〈三分の一の死〉は〈三分の二の生〉を、あっという間に凌駕してしまう。手術の傷は日増しに癒えるが、死の恐怖は、いっこうに僕から消えようとはしない。いくらノートを書き写しても。