社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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成婚50周年の穿った穴

 
ご成婚50周年なのだという。しきりに特番が組まれている。

沖縄。
「ひめゆり」の「洞穴」は「聖地」である?
火炎瓶。
ヘルメットに「沖縄解放」の文字。
何があってもいいという「お言葉」。
そして、6箇所の慰霊碑を巡る…

以来、沖縄が変わったのだというプレゼン。
実はこの文章は、4月に書いているという僕のペテン。

4月に聞いた話を付け加えてみる。
学徒隊は「ひめゆり」ばかりではない。
特番で、その人のことが扱われるはずであった。
しかし。
その人は、一番はやく「あの人」に「お会いした」生き残り。
その人は、「ひめゆり」が嫌い。
その人は、「あの人」が嫌い?好き?
流された特番から、その人のことは消されていた。

何かを操作するプレゼンはペテン?
それとも、穿った僕の方がペテン?
「穿つ」という言葉は、知られざる本当のことを言うという意味。
「穿った僕」という言い方がペテン?

僕の書斎の壁は、いつしか穿った穴でいっぱいになってしまっていて、そこから三太郎が、いつもこちらを覗いて観察している。
そろそろ、引っ越すか…
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ジュネを装う三太郎(昨日のノートを受けて)

 
このまえ三太郎さんがいらっしゃったのはいつだったかしら。あなた、おぼえていらっしゃる? いったいどうしているのかしらねえ。
え?だから、三太郎さんのことですよ。もう、また、なま返事。あなた、あたしの言うこと聞いていらっしゃいますの。いつもそうなんだから。

あら、珍しい、いったい何を読んでいらっしゃるの。ちょっと見せて、いいじゃないの、ちょっとだけ。
へえ、懐かしい、「泥棒日記」。おかしなこと。なんでまた今頃ジュネの小説なんかを引っ張り出してきたのかしら。やだわ、またあの頃を懐かしがっていらっしゃるわけね。もういい加減になさったらよろしいのに。あたしのような、一度お天道様から免罪符を与えられてしまった男娼には、あなたの期待する異形のものの力なんて、もうどこにも残ってなんかいませんからね。そんなつまらなそうな顔なさらないでください。あなたにとってはつまらないことなのかもしれないけれど、あたしはそれで幸せなの。この上ない幸せ。一握りの天才の勝手な思い込みで、つらい役回りを一生背負わされて、若い頃はさ、それがとっても価値のあることみたいに勘違いをして、母親に会えなくなってしまったことも、ほんとうに愛する人を諦めなければいけないことも、天才たちの作品で埋め合わせることができるのだと信じていたのだけれど、今となっては、なんだか夢のよう。

ちっちゃな世界になっちゃったなんて、ついてもしかたないため息なんか、もう決してつかないでください、お願いですから。あなたが見ていた大きな世界は、万華鏡のいたずら、合わせ鏡の幻だったのです、きっと。
だってあなた、考えてみてください。サルトルもコクトーも、ジャン・ジュネが一生牢獄の中で暮らすことを強いられて、その代償で得られる異形のものの神秘な力なんか、ちっとも望んでなどいなかったということを。あの人たちが求めたのは、ジュネが解放されることだけ。ジュネが抱えていたような悲しみを、幻ではないこの現実という世界から、永久に消し去ることこそが、天才たちの希みだったのではないのかしら。

お願いです。どうか嘆かないでください。あなたの子どもたちのために、人間の未来を信じてみようよ。全ての人が幸せに生きている世界を、単純に夢見てみようよ。

あなたの目からとめどなくあふれ出てくる涙を、わたしは限りなく愛しく思います。その全てを掬い取ってみたい。

あなた、ありがとう。たくさん喧嘩もしたけどさ、わたしはあなたに守られて、嬉しかった。でも、きっと、もう大丈夫です。私を憎んでいた年老いた母親から、戻ってくるようにという葉書が届きました。
そんな目で、どうかあたしを見ないでください。

ああ、あなたは気づいてしまったのね、あたしと、三太郎の関係を……

へっへ! ちっ…
お前のそのどす黒い胸に、真っ赤な一本のバラを突き刺してやろうか!たった独りのこの部屋で、自殺という名の完全犯罪。
 

三太郎の偽者が現れた

 
「最初から順番に読んでもさっぱりわからないんですが。」
と突然現れたその青年は、《苦笑》と書かれた札を首からぶら下げている。
「パーツで見ると色と形がバラバラなモザイク模様も、少し離れて全体を眺めてみると、何らかの像を結ぶという事なんでしょうか。でも、まだまだ壮大なパズルのピースは足りないようですね《苦笑》」
ふふん、“さっぱりわからない”ねえ、でも、それが正しい読み方なのさ。
しかし君は勘違いしている。偉大な理解者は、作者を裏切りながら、散らばったピースを自ら組み立てるものなのだ。

「ところでさ、君は誰なの」
「三太郎です」

もし本当の三太郎なら、俺の掌に足跡を残しているはずだ。だが、こいつの身の丈はデカ過ぎる。
訝しがる俺の気持ちを察したのか、
「まともな世界の住人です」
なんとも中途半端な難解さ。

「私のような、いわゆるインフルエンサーが寄ってくる事もあるのではないかということです」
またまたちょこっと訳のわからないことを言う。インフルエンザならおととい来い。タミフルは効くのか。
「効果のほどは怪しいですが」

もし君が、三太郎の名を騙る偽者ならと、目を瞑って海を見た。
南の島の小高い丘の、こんもり繁った森の中の、一番立派な木の上に小屋を建て、海の見張り番として雇ってみるのも面白い。きっと毎年その島には、赤道直下の懐かしい国、あのポストリアから、見たことのない土産をいっぱい積んで、真っ赤な船がピチピチチャプチャプやってくるのだ……
俺は妄想をどんどんと膨らませ、しばし目の前の君を忘れてみた。《笑》

《苦笑》… 
「笑っちゃいかん」
どんなに奇想天外に見えることも、思い続けていると、結構実現するらしいということが、最近だんだんわかってきたのだ。

とは言うものの、やりたいことの全てをやり遂げるには、どうやら残された俺の人生は、十分な長さにはだいぶん足りないということを、君はわざわざ伝えに来てくれたらしい。俺が三太郎くらい若ければ、昼は黴臭い古書に読み耽り、夜は夜で、希望という広大な世界の不可能性について、過ぎる時を忘れて友と語りあっていたいのだが、もはやそんな贅沢は許されず、とっとと分かりやすさという武器を獲得しないと、誰からも相手にされなくなるということらしい。
友達などいらないと強がってはいるが、本音はさ、朝まで酒を酌み交わす新しい相手が欲しいのだ。旧友は、様々な理由で、一人ひとり去っていくものだから。

本日のネタは、三太郎という妖精の住むミクロの世界で綴った日記から拾ってきたので、並べた日付はむちゃくちゃな時系列。

でも、難解な言葉のほうが後世まで生き残るのは何故なのだろう。
「なるほど、それは考えてみる価値がありますね。」

騙されてはいけない。なんだか今日は、俺が三太郎のようだ。
妄想は、意図に反し、「難解」という世界に向けて加速していく……
 

「愛」と「出発」、「希望」と「自殺」

 
相も変わらず、昔の読書ノート。
古き思い出の言葉の積み木遊び。

1984年
9月11日
大江健三郎「われらの時代」
「日本でリアリスチクな論理の眼を保ちつづけているとコミュニストは絶望せざるをえません。したがってかれはリアリズムを放棄することでコミュニストの純潔を保つ。」
「愛」と「出発」は、両立不可能。

9月14日
マルキ・ド・サド「ファクスランジュ あるいは野心の罪」
「人間は希望をもてばもつだけ、自殺ができなくなるものなのだ」

三太郎が、ひと月ぶりに残した落書き。
「弁解」
 

三太郎からのバースデーカード

 
前略。
お久しぶりでございます。ほぼひと月ぶりですなあ。
相変わらず、なかなか先へ進まないご様子。「ほんとうのこと」に、あまりにもこだわり過ぎていらっしゃるようで。

あなたのお好きな儀間進オジイは、たしか二つの負い目があるとおっしゃったのではないですか?あなたは、そのうちの「戦争体験がない」という、ひとつめの負い目だけは語ったが、しかしふたつめの負い目についてはどうしようかと躊躇している。このまま進まぬ物語に付き合わされるのはかなわない、だからオイラが代わって発表しましょう。ばっさりと。

儀間進氏曰く
「私には負い目がふたつあります。ひとつは戦争体験がないこと、そしてもうひとつは、琉大文学をクビにならなかったことです。」

どうです? すっきりなさったのでは? そんな怖い顔でオイラを見ないでください。あなたはmixiという、開かれてるんだか内輪なんだかよくわからない場所の、「沖縄の独立を考える」なる「コミュ」とかなんとかいうところに、既にこんな文章を書き込んでいらっしゃるではありませんか。

《mixiへのコメント》
「アイヌ」という言葉は、本来「人間」という意味であったと記憶しています。「シサム(隣人)」である大和と出会うまで、「アイヌ」にとっての他者は、多分「自然」であったのだと思うのです。「アイヌ」にとってのアイデンティティーは、偉大なる他者としての「自然」を鏡にして、そこに自分たちの姿を写し出すことによって、確かに成立していたのではないでしょうか。「人間」という名のアイデンティティーです。
ところが「不幸(?)」にも「シサム」と出会ってしまった時から、「シサム」という他者の名前は、「シャモ」という憎しみを帯びた言葉に変貌し、元来人間を意味した「アイヌ」という言葉は、「シャモ」と区別された「自ら」を規定する呼び名となったのです。
僕は、「沖縄」を考える時、いつも普遍的な地表に導かれていってしまいます。人が、他者と出会い、そして理解し合うとはどういうことなのか。「わたし」は「あなた」を本当に理解できるのだろうか、というふうに。
新川明氏の反復帰論はご存知でしょうか。彼は沖縄独立論者として自分が規定されることに異を唱えます。「独立論」の先には、結局、国家が存在するから。新川明氏は、遠い遠い彼方に「国家」という枠組みのない世界を見据えて、今現在、沖縄はどうあるべきかを、模索し続けてこられたように思うのです。
一方で、新川明とは対極にいる作家・大城立裕氏と、今僕は仕事をさせていただいています。大和の言葉で、基地内で開かれる「カクテル・パーティー」の親善の欺瞞を告発し、沖縄に始めて芥川賞を齎しました。氏のあり方もまた、我々がとやかく言うことの出来ない、沖縄のひとつの選択であったのだろうと思うのです。
50歳にして、今僕は、たくさんの沖縄の方々と出会い、たくさんの勉強をさせてもいただいています。
そうして今、僕は、妻の故郷である「沖縄」を通して、僕のなかの「大和」を、問い続けているような気がするのです。
(2008/10/18)


あなた様がこの書き込みをされた途端、それまで盛り上がっていた議論が、ピタリとストップしてしまいました。あなたのお言葉は、いつも周りに冷や水を浴びせて沈黙を生み出します。それは「ほんとうのこと」と関係があるのでしょうか。それとも…

新川明氏は、琉大文学を「クビ」になった方。儀間進氏は、今も時々新川明氏とお会いになるという…

これについてはオイラの出番はここまで。この後の続きはお任せいたします。

そして、もうひとつのほんとうのこと。誰にも言えないほんとうのこと。それは言わぬが花、それこそはミステリーということにして、もういい加減に先へお進みになられることを期待しております。

お誕生日、おめでとうございます。誰も祝ってくれないあなた様への、オイラのお祝いのメッセージでした。
えへへ…
 

起承転結の「承」の始まり

 
【三太郎からの投稿】
《1985年7月13日のノート》を読ませていただきました。今か今かと待っていましたが、ようやくですね。
穴凹からの一歩。なんのことはない、俳優という答えが、足もとに転がっていたことに気がついたということなのでしょうか。灯台下暗し、あんまり遠くを見過ぎていたのかな。
沖縄へ続く道の「アイヌ」という入口。起承転結の「承」の始まり。
今後の展開を楽しみにしています。

【三太郎への返信】
ありがとう。しかし、灯台下暗しなんて簡単なことではなかったのだ。
7月13日の前の半年くらい、僕のノートは膨大な文字で埋め尽くされている。キルケゴールとヘーゲル、そして「資本論」、フッサールから現象学、数多くの戯曲と心理学関係の専門書、果ては大江健三郎の「万延元年のフットボール」までの全著作。それらについて書かれた僕の文章は、諧謔と、不信と、間違った解釈と、自己嫌悪に満ちている。三太郎、君はそのことを知っているはずではないか。
実のところ、それを通り過ぎなければ7月13日にたどり着けなかったし、それ以降だって、僕は揺れ続け、そうして最後には相対性理論からエントロピーまで持ち出すことになる。そしてやはり僕は、そのことも合わせて伝えなければ、僕の「沖縄」を理解してもらうことは不可能だという気がしているのだ。残念ながら君の期待に反して、僕はまだまだ躓くことになりそうだ。

【三太郎の罵詈雑言】
せっかく貴方のことを考えて協力して差し上げたつもりなのに、貴方はまた余計なことを書いて混ぜっ返す。なんで「ありがとう、これからもよろしくね」ってなこと言って、後はうっちゃっておくくらいの裁量を持っていらっしゃらないのでしょうか。貴方は沖縄をどこへ持っていこうとされているのか。貴方の妄想で作られた貴方だけの沖縄を押し付けられては不愉快です。もはや貴方の言葉を聞いてくれた好意的な人たちの誰もが、きっと口を閉ざすでしょう。やがて誰もが耳を塞ぐでしょう。そして貴方の声は、このわたくしにしか届かなくなるのです。
しかし、わたくしは貴方様が孤独になることを許しはしません。御安心なさい。あなたが黄泉の国へ召されるまで、わたくしの憎しみの目は貴方様の震える指先を捉え続け、またわたくしの悲しみの耳は、貴方様の苦悶の呼吸を響かせ続けることでしょう。

【呟き】
三太郎よ。
この僕に、今のこの時の僕自身を語る以外に、いったいどんな術があるというのか。全ての人について、人は自分以外について語ることなどできないと、君は思わないのか。

【三太郎の無言の呟き】
わたくしは、貴方です。
 

ねえ、あんた

 
あんた、まだ起きてんの。もうやめなよ。何もかも忘れてさ、もう寝たほうがいいよ。

あたい、あんたの日記、好きだよ。毎日読んで、泣いている。ほんとのこと、やっぱりあんたは言えないんだよね、だからあんたはさ、昔のことばに、そっと今の気持ちを託してるんだよね。あの時とおんなじだ、あんたのさ、いちばんたいせつな子供たちのためだけに書いていたあの時のあの手紙。あたい、あんたの日記、読むのとっても好きだけど、もうやめなよ、だって、とっても悲しいからさ。

あした起きて晴れてたら、あたいはあんたのいる西の空の方を眺めてさ、ちょっと深呼吸なんかしてみたり、ああ、きっと、あんたも元気になっただろうって、そう思えばこんなあたいだって嬉しくなれるんだから、その日一日頑張れるんだから、ほんとはコーヒー入れたげたいけど、あんたが独りでいたいときは、邪魔しないって決めたんだ。ずっと前に決めたんだ。

ねえあんた、あんたは一人じゃないんだよ、死ぬまでずっと、きっと一人じゃないんだよ。

三太郎なの?
 

三太郎からの使者

 
こんばんは。始めてお目にかかります。三太郎の執事で御座います。

三太郎の命により、お届けものを持参して参りました。
いえいえお構いなく、すぐに退散いたします。ただ、このところの三太郎様のご様子もお伝えしておいたほうがよろしかろうと、いえ三太郎様にお変わりはございません。ただ、三太郎様は、あなた様のことを大変お気にかけているようで、そのことをお伝えしておきたいと、わたくしめの勝手な考えで御座います。

今月の初め頃でしたでしょうか、あなた様が《頭痛日記》なるものを認め始められたのは。三太郎様はその時、こんなことをおっしゃっておられました。
「いよいよ、穴ぼこから出てきたようですよ。でもそれが頭痛日記とはねえ。屈折しているにも程がある。沖縄沖縄と何かと匂わしておられるが、このペースだと沖縄にたどり着くのはいったいいつのことになるのやら。」
そう語る三太郎様はとても楽しそうでいらっしゃいました。
「しかし、なぜ《穴ぼこ》から《頭痛》に到る84年から86年の、ほぼ2年間をすっ飛ばしてしまわれたのだろう。たぶん、そこに大きな秘密があるはずなのだが、しかしそれについても、今後ちょこちょこと小出しにしていかれるらしい。注意していないと、読みすごしてしまうね。できれば読みすごしてもらいたいというような意志も感じる。しかし、こんなややこしい構造のブログらしきもの、私くらいコアな読者でなければ全く理解不能ですね。まあ、ご本人は伝えるということを半ば諦めていらっしゃるらしい。死んだ後に、子供達だけでも読んでくれればいいくらいに考えておられるのでしょう、きっと。」
そのお顔はまじめではありましたが、でもどこかアカデミックな研究についてお話されているようで、それはそれで楽しんでおられるようでした。

しかし、ここ数日、三太郎様の様子が一転したのです。眉間に皺を寄せて、なにかとてもご心配なことがおありなご様子、わたくしは、どうかいたしましたかと、お声をかけずにはいられませんでした。
三太郎様はわたくしの質問にはお答えにならず、その代わり、三太郎が数日前、あなた様の書斎に潜り込んで持ち出した古いノートを、お返しに行くようわたくしに御命じになったのです。
お詫びが後になってしまいました。大変申し訳御座いませんでした。三太郎の勝手な振る舞い、いくらあなた様よりお許しを頂いているとはいえ、あなた様の命より大切なノートを持ち出すなどもってのほか、心よりお詫びいたします。でも、これも三太郎のあなた様への思いがさせたこと、どうかお許し頂きたいと存じます。
今晩はそのお預かりしたあなた様の大切なノートをお返しに上がった次第です。あなたに知られずに持ち出したものですから、やはりそっとお返しすることもできたのですが、あえてお詫びを兼ねてお会いするよう、三太郎より申し付かったのです。そしてもうひとつ、三太郎様からあなた様へのご伝言が御座います。
まず、これを見ていただきたいのです、あなた様の古いノートに引かれた新しいアンダーラインです。1983年7月、あなたが公開することをしなかったメモです。

文学座アトリエ「G・R・ポイント」
…感動、上質の演技、だが深遠さの欠如、演出助手T君の思い、それら全てのアンバランス
……舞台と現場の現状との差異という現実。

〈ペスト〉=理性の破壊。(脳と肺が侵される。)肉体の復権。カミュの「ペスト」、既成小説の否定。新たな小説の模索。〈小説の自己否定〉
〈エイズ〉=性欲の破壊。新たな理性の時代へ。芝居のモチーフとして。肉体崇拝への警鐘。新たな演劇。〈演劇の自己否定〉

「飲食より、呼吸の方が、上等な作用である」
(森鴎外「ヰタ・セクスアリス」)

そしてこのアンダーライン、二箇所の「自己否定」の文字に引かれた二本の線、これは、あなた様が最近引かれたものですね。もうお隠しになる必要はありません。腎臓癌は脳と肺に転移するのですよね。ただ、三太郎様もただ者ではありません。あなたのお体を心配しているのではない。事実あなた様が簡単に死ぬはずはないと確信されておられますし、たとえこの現実であなた様が死んだとしても、お悲しみにはならないでしょう。そうではなく、あなた様が「自己否定」の文字にアンダーラインを引いたということなのです。もしかしてあなたは、また原罪というような、無味乾燥な穴ぼこへ戻ろうとしておられるのではないですか。もしそうなら、それだけは絶対におやめいただきたいと、そのことをはっきりとお伝えしてこいと申し付かったので御座います。
加えて、三太郎が心配しているなどとは決して言うなとの命令だったのですが、わたくしの一存でお話してしまいました。このことは、三太郎様には内密にお願いいたします。わたくしが叱られてしまいますので。

長々とお邪魔いたしました。わたくしがこれ以上申し上げることは何もございません。これで失礼いたします。お元気でお過ごしください。
 

もしもしカメよ

 
もしもし、三太郎クンですか。どうしたの、最近ちっとも現れないじゃない。

ちょいとね、忙しいんですわ。映画ばっかり観てるんですよ。1日5本。

ウソつけ。じゃあ4本にして遊びに来い。

またそうやって、苦しい時にボク呼ぶの、やめてくれます? 苦しい人と遊んでもおもしろくないんだもん。
もういい加減らっきょの皮むき、やめたらどうですか。曼荼羅作るって言うけど、言葉と、音楽と、ビジネスと、それにおまけみたいにいくらオキナワをくっつけてみたって、曼荼羅なんかできませんよ。結局、からっぽ。

誰が曼荼羅なんて言ったよ。いい加減なこと言うな。

そうでしたっけ。ともかく、映像が入ってないじゃないですか。曼荼羅は映像です。

お前は小説家になる夢、捨てたのか!

1日10本も映画観てるとね、本読む暇なんか全然ないんですよ。つまり、ひとりの人間にできることは限られてるってことです。社長さん、あなたのやろうとしてることは多すぎる。でも曼荼羅作るには余りにも足りない。
わー、なんでボクったら、今日こんな真面目なこと言ってるんだろう。
そうだ、夢は、結婚です。耳掻いたら、鼻から血が出た。うんこが歩く沖縄の話、知ってます?
ようやく詩的な感じになってきましたか。もしもし、聞いてます?もしもしカメよ、カメさんよ、琉球亀の甲羅の上に野糞した。うんこを振り払おうとがんばっていくら急いで歩いても、背中のうんこは乾くまで絶対に離れない。死ぬまでの時間をよく考えておかないとねえ。うんこ背負ったまま亀甲墓に入る羽目になったら、ご先祖さま大迷惑。
結婚しようよって映画、観そこなっちゃったなあ。もう、やってないのかなあ。明日に続く。THE END

このお電話はお客さまのご都合により・・・・ガチャン。ツー、ツー、ツー。
 

三太郎の置手紙

 
すこし社長業とやらにお戻りになったらいかがでしょうか。
わたくしは、貴方様のお名前を失念いたしました。皆、クサバノカゲよりご心配申し上げております。

貴方様のブログはアンタッチャブル、誰も触れることのできない貴方様だけの作品。
なぜって、コメントできないような設定になっていますもの。
貴方様は、このわたくしに三太郎なる名前をお付けになって、そうしてわたくしにだけ好き勝手なことを言う許可をお与えになって、それで世界とつながっているのだという満足をお感じになっているらしい。
あさましいペテン。
いえいえ、尊敬しているのでございます。わたくしなぞとてもとても、貴方様の足元にも及びません。
ただただご心配申し上げているのでございます。貴方様はいったいどこへ行かれようとなさっているのでしょう。
閉ざされ、完全に守られた、貴方様だけのブログという小箱の中で、屍となり腐ってゆく貴方様を見るのは、忍びないのでございます。
無縁仏に、花手向けることくらいは勿論いたしますけれど。

ななしのごんべえというなのこゆうめいし

大変失礼いたしました。どうかお忘れを。傍若無人な口調が貴方様のお好み。今日の私の戯言は、からくり人形の軋み、そのように思し召しくだされば幸い。

振り向くと、ごみ箱からこちらを覗く三太郎が、ペロッと舌を出した。
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