社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1984年1月31日の読書ノート》

 
旅での読書

芥川龍之介から南部修太郎への書簡(「南京の基督」評に答えて)
「僕等作家が人生からOdious truthを掴んだ場合、その曝露に躊躇する気もちはあの日本の旅行家が悩んでいる心もちと同じではないか。君自身そういう心もちを感じるほど残酷な人生に対した事はないのか。君自身無数の金花たちを君の周囲に見た覚えはないのか。そうして彼等の幻を破る事が反って彼等を不幸にする苦痛を甞めた事はないのか。」

ここは長崎の街。段々家屋。街は、街そのものの心を表している。
(1984/1/31)
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《1984年1月26日のノート》

 
「交渉のない、死んだ自然」
あの風景たち。

無感受性と幸福との悲しい関係。


《午後》
朝のノートを修正してみる……

僕と交渉を絶って 死んでしまった自然。
あの風景たちの 捨て去られた思い出。

無感受性と幸福との 悲しい共犯関係。

抜け出すのは 容易ではない。
抜け出す気も ない。
(1984/1/26)
 

《1984年1月25日のノート》

 
1+1=2である。何の比喩でもない。なのに、うっかり「1足す1は2でしかない」などと言うと総スカンを喰う。
何かがでしゃばっている。おかしな時代だ。

混同と調和とは違うものである。
(1984/1/25)
 

《1984年1月24日のノート》

 
「ロオラン曰く、芸術の窮まる所無限の静なり。プウサンを見よ。ミシェルアンジュのごとき未だしと。また年長じていよいよゲエテの大を知る」
と成瀬語る。芥川それを聞きて
「しごくもっともなり」
と「我鬼窟日録」に記す。
それより半世紀隔てて我それを読み、そしてそれをここに写す。これこそ文学の糞の糞。ついに糞集めの道極めて世捨て人となるか。《1984年1月24日のノート》

性懲りも無く…
「落莫たる人生も、涙の靄を透して見る時は、美しい世界を展開する。お君さんはその実生活の迫害をのがれるために、この芸術的感激の涙の中へ身を隠した。」
「この涙は、人間苦の黄昏のおぼろめく中に、人間愛の灯火をつつましやかにともしてくれる。」(「葱」芥川竜之介)

まどろみの中で…

読書に疲れて眠りについたのは、もう東の空が白み出した頃だったろう。だから昼近い強い日差しに起こされても、僕はまだ朦朧として寝床に横になっていた。すると、あのお君さんが部屋のドアを開けて入ってきた。二言三言ことばを交わしたのだろうか。お君さんは、書棚に並んだ僕の蔵書の背表紙を順繰りに調べ始めた。何とはなしに、僕も彼女の視線を追っていた。フローベル、ストリンドベリ、漱石、そして芥川、……新しい作家のものは一つもない、……と、お君さんが快活な声をあげた。

「あたしの大好きな本がみんなあるわ。特に『不如帰』なんか、もう何度も読んで、それでいていつでも泣いてしまうんですのよ。」

何も不思議な事ではない。「不如帰」も「藤村詩集」も「松井須磨子の一生」も、「新朝顔日記」も「カルメン」も、お君さんが好きだということは、「葱」を読んで前から知っているのだ。だからこそ、読んで君を理解するために買いおいてあるのだ。

〈ははあ、彼女は、まだ「葱」を読んでいないのだな、お君さんのこと、あんなにたくさん書いてあるというのに〉

そのお君さんは「不如帰」を手にとってパラパラと頁をめくっている。

〈いやそうじゃない、お君さんは死ぬまで「葱」など読まないのだろう。彼女の人生には、数冊の名作さえあれば、それで十分なのだ。〉

ふと、お君さんはもうその姿を消していた。


「俊寛」芥川龍之介……
「涙に透かして見れば、あの死んだ女房も、どのくらい美しい女に見えたか」
だが……
「わたしはあなたに慰められるよりも、笑われるほうが本望です。」
そして俊寛はとうとう吹き出した。
「葱」との違い。涙の芸術の嘘。
(1984/1/24)
 

《1984年1月22日のノート》

 
「どうもこういう問題になると、なかなか哲学史の一冊も読むような、簡単な訳にゃいかないんだから困る」
芥川龍之介の「路上」は未完のまま終わっている。〈ほんとうの愛とは〉〈偽りのない愛とは〉、その答えを、芥川は「路上」のようなリアルな小説の中で具象化してみせることができなかった。
芥川の信ずる愛の形、それは辰子との出会いの瞬間に、もうそれ以上発展のしようのない形で完結していたのだ。それに続くであろうリアルな生活は、芥川にとっては、きっと手におえないものだったのである。

23時35分。静寂の中。そうだ、僕らの時代には音楽があるのだ、あるはずなのだ、ふと強烈のそう感じたのだ。しかし、静寂の中、いかなる音も僕の耳には聞こえてこない。今の僕にとって、音楽とは、何ら具体性を持たない単なる概念であるらしいのだ。

その夜〈白日夢〉を見た・・・

彼女は60年代的モラルを持っていた。だから、当然の様に、処女などといういかがわしい肩書きは、できるだけ早いところ捨ててしまいたいと思っていた。ところが、その「真面目さ」が、かえってその実現を遅らせていた。
何かが熟した。その時、偶然にも彼女の前にいた男。彼女はその男を利用した。男もまた、利用されることを理解していた。
「男と寝る」という彼女の行為は、それのみ単独で完結した意味を持ち、だからこそ価値もある筈だった。ところが、彼女は彼を愛してしまう。不覚であった。彼女はそういう自分自身が許せなかった。彼女の意志で選んだ確かな行為が、「愛」という淫靡で不確かなものに汚されたような気がしたのだ。
彼女は、悩んだ。
男は、そんな彼女に惹かれ始める。
結局彼女は、平凡な恋に堕ちた。彼女は肉体と精神の安易な慣れ合いを認めてしまったのだ。
彼女の顔からはすっかり険が消えていった。彼女は美しかった。
彼女は幸福だった。
男は、彼女から、出会った頃の、あの特別な魅力が消えているのを感じた。
(1984/1/22)

 

《1984年1月21日のノート》

 
「鼠小僧次郎吉」。
300円着服してクビになった国鉄職員に対して、同情を抱くべきであるのか否か。たとえ実際の出来事だとしても、よほど身近な者でなければ誰も同情などしないだろう。要するに喜劇的なのである……。

「尾生の信」。
悲劇的状況に妙に動かされる。いや違う、動かされているのではないらしい。停滞させられているのだ。
尾生が待っていたもの、例えば、あのウラジミールとエストラゴンが待っていたもの。
それらに比べて僕の待っているものは、ちっとも悲劇的ではない。きっとその有様は、解雇された国鉄職員の、あての無い怠惰な職探しに近いものだろうから。
要するに喜劇である。
(1984/1/21)
 

《1984年1月18日のノート》

 
 僕は本当の生活というものを知らないのかもしれません。しかし僕は、真理を見極めるために、一生、生活などしたくないと思っていました。考えてみれば妙な話です。生活するために信ずる何ものかが必要だった、だから信ずるに足る真理が欲しかった、つまり生活するためにこそ真理を追い始めたはずなのに、僕は戦う前に敗北しています。結局今の僕は、生活したくないというだけの、ただの呆け者なのかもしれません。
 だが、そんなふうにいくら反省したところで、やっぱり真理はないのだから、つまり生活が可能になるわけではありません。相変わらず、真理を見極めようとする事と生活する事とは両立不可能に思えるのです……。

 「彼は持って生まれた性格と今日まで受けた教育とに煩わされて、とうの昔に大切な、信ずるという機能を失っていた。まして実行する勇気は、容易に湧いてはこなかった。したがって世間に伍して、目まぐるしい生活の渦の中へ、思い切って飛びこむことができなかった。だから彼はその限りで、広い世間から切り離された孤独を味わうべく余儀なくされた。」(芥川竜之介「路上」)

 なるほど、信ずるものがあって、はじめて〈生活〉は可能なのでしょう。だが、信じられる真理などない。けれど、信ずる事において真理が不可欠というわけではないらしい。ならば、人は何をどのように信じているのでしょうか。
 「信じるところに現実はあるのであって、現実は決して人を信じさせる事が出来ない。」(太宰治「津軽」)
 「化かすと云う事と、化かすと信ぜられると云う事との間に、果してどれ程の相違があるのであろう。」「我々の内部に生きるものを信じようではないか。そうして、その信ずるものの命ずるままに我々の生き方を生きようではないか。」(芥川龍之介「貉」)
 芥川は、貉が化かすと本当に信じていたのでしょうか。僕にはとてもそうとは思えない、つまり、何もかもが信じられないのです。
(1984/1/18)
 

《1984年1月17日のノートと読書メモ》

 
わが紺珠、常に獲麟なり。

「私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の無い生活。けれども、それは至難の業であった。私はただ、やけ酒を飲むばかりであった。私の最も憎悪したものは、偽善であった。」
(太宰治「苦悩の年鑑」)

「まったく利己の無い生活」などあり得ない。ならば全て偽善だというのか。
いずれにしろ、今の僕には、現実から得る感動が少な過ぎる。

寺山修司は「町へ出よ」と言ったのだが、僕は寺山のこの「嘘」に騙されてみるのもいいかなと思った。僕は哲学から少し離れようと思った。哲学にしか逃れる道はないと、いまだに考えているのだとしても。


《読書メモ》
(「津軽」太宰治)
 「大人とは裏切られた青年の姿である。」
 「つつしむべきは士族の商法、文士の政談」
フム。

(太宰治「十五年間」)
「新しい現実をその一つ覚えの定義に押し込めようと試みる。無理だよ、婆さん。所詮、合いませんて。」
「もっと気弱くなれ!偉いのはお前じゃないんだ!学問なんて、そんなものは捨てちまえ!」

「嘘をつけ。君の憂鬱は食料不足よりも、道徳の煩悶だろう。」

人類に課せられた進化。太宰のような人間を淘汰する。
だが、それは哀しいこと。とてつもなく…
(1984/1/17)
 

《1984年1月15日のノート》

 
雪に埋もれた旅館の狭い六畳の和室で、ひとりただ読み耽る。

「ああ、汝、堤宇子、すでに悪魔の何たるを知らず、いわんやまた、天地作者の方寸をや」……。
悪魔。
「右の眼は『いんへるの』の無間の暗を見」、「左の眼は『はらいそ』の光のうるわしと、常に天上をながむる」……。
「弥陀も女人も、予の前には、皆われらの悲しさを忘れさせる傀儡のたぐいにほかならぬ」……。

だが、しかし……

棺桶然とした暗い部屋でも、窓を開け放てば眼を痛める程の光、清新な冷気の向こうには箱庭の如きスキー場が眩しく見える。そこに友を探すこと不可能。遠く小さく蠢く原色の者たち、あたかも傀儡のように。
(1984/1/15)
 

《1984年1月14日のノート》

 
三島由紀夫「旅の墓碑銘」。

「……僕はそれらのものに化身する。その瞬間、見る者と見られる者との差別は失せ、すべては等価値になり、調和の中に並存し、世界を充たした僕の不在を、今度はあらゆるものとの僕の存在の聯関が埋めるんだ。こういう世界の深みまで降りてゆかない精神が、どうして作品などという確実な物体に化身することができるものか!」
「そのとき僕の肉体が占めていたほどの確乎たる僕の空間を僕の精神はかつて占めたことがなかったんだ」

三島は極限から戻ってきたのだ。決して越えたのではない。
いや、越えたのかもしれない。しかしいずれにしろ、極限にとどまっていた訳ではない。
極限を見たのだとしても、三島はそこから逃げ帰ってきたのだ……。

そんな「感想」を見つけ出して、ようやく僕は、穏やかにしていられる。
(1984/1/14)
 

《1984年1月5日のノート》

 
〈嘘〉……「思い出」。

この数日、なぜだかとても苦しかった。あの時のような苦悩ではなかったが、狂気に誘われる不安があった。恐かった。怖ろしかった。
どうにかその不安は消えた。ちょっと町へ出てみただけのことなのだが。

「やっと何か書けそうだったのに」と呟いてみた。
(1984/1/5)
 

《1984年1月3日のノート》

 
新厚生大臣、就任しての開口一番。

「たばこは健康にいい」

ばっかじゃなかろうか。
長屋のくまさんなら気のきいた台詞だが……。
日本の政治家の程度を疑う。
 
僕は何をイライラしているのだ?
(1984/1/3)
 

《1984年1月1日のノート》

 
何の節目もなく……。

それではなんとも味気ないから、このノートに「紺珠」という名を与えてみよう。

別に、何の意味もなく……。
(1984/1/1)
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Author:urashachoo
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