社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1984年2月27日のノート》

 
読みかけの「判断力批判」。
急いでいるはずなのに、どうしても僕は、古典を飛び越して新しいものを手に取る気がしない。

デリタがどうだ、ドゥルーズがこうだと能書はたれるが、彼らの著作など勿論読んじゃいない、流行の浅田彰の受け売り、借り物の言葉。ヘーゲル、マルクスなど、当然なんにも知らないくせに、〈ありゃ遺物だ〉などと分かったような御高論。そんな輩に虫酸が走る。

〈君は真面目な性格なんだね、流行らないよ、今時。〉

くそくらえだ。
さて、そんなふうに意気込んで、衿を正して、再び「判断力批判」を開いて読み始めるのだが、しかし、遅々としていっこうに進まない。

だからまた、妙なことを考え始める。

最近感性が信じられなくなったが、味覚だけはまだ大丈夫などという戯言。味覚だけでも信じられるものがあるのなら幸せってもんだ。それこそ時代の最先端、おもしろがられて、軽薄な評論家が喜んで記事でも書くんじゃなかろうか。

「器官なき身体」をもじって「器官なき身体検査」と題した展覧会、「構造と力」ならぬ「小僧と力」、つまらぬ駄洒落を〈時代の感性〉といって面白がる。

ここらで〈真面目〉という時代遅れの「性格」を変えたフリをして、新しいものをつまみ食いでもしておかないと、一生ひとりぼっちで煮干食って生きる羽目になるのかもしれない。味覚しか信じられない時代なら、今風の化学調味料で味付けされた残飯は、食い過ぎないで、つまみ食いくらいに抑えておけば、それはことのほか旨いのかもしれない。
何とも腹立たしい……。
(1984/2/27)
 

《1984年2月26日のノート》

 
宮島新三郎は「薮の中」評の中で「色慾にあらざれば貞操、それはオール・オア・ナッシングの境だ」と言った。概念とはきっとそういうものなのだ。「痴人の愛」のナオミも「カインの末裔」を読んでいたのだし、「狭き門」のアリサも「物問いたげな表情」をしていたのだ。ナオミの色慾と、アリサの貞操とは、身を寄せ合って隣あっている。それを引き裂くように「オール・オア・ナッシングの境」が引かれるのだ。しかしそれは、「形而を越えし女性」(ボードレール)に対する冒涜なのだ。
それなのに、どうして僕はナオミよりもアリサの方に魅かてしまうのか。女性をこよなく愛したボードレールの、信用おけない正直な優しさが、むしろナオミの肩を持つからなのか。
(1984/2/26)

 

《1984年2月24日のノート》

 
ボードレールの創造した「新しい戦慄」(ユーゴー)も、今はもう新しくない。神の国から一歩も出なかった彼の『叛逆』。彼は「おお悪魔よ」と、やはり〈祈る〉のだ。
それから、古いもの、もうひとつ……
 「――ああ! 主よ! 願わくは、授け給え、
  わが心と肉体とを嫌悪の情に駆られずに眺め得る力と勇気を!」
                          (シテールへの或る旅)
なるほど、力と勇気と、そして〈祈り〉が必要なのだ、そんな事、とうに分かっているさと、僕は平然としている。何も解決していないのに。
 
午前中『悪の華』の残りを読み終える。堀口大学の訳に不満、といって原典を読めるわけでもなし。マネの画集を開いて、「ローラ・ド・ヴァランス」と対面するが、それほど美しいとも思わない。真実を伝えない言葉。つまり完全に自立している言葉・・・

午後、忘れてきた手帳を取りに稽古場へ行く。途中、昼過ぎのその時間にしては妙に混んでいる電車の中で、『悪の華』の余韻を引きずりながら、芥川の「犬」という一篇を読む。芥川は、犬が嫌いだったはずだが……
渋谷の駅を出る。大勢の人が、様々な表情をして歩いている。すると変だ。視覚異常でも起こしたのだろうか、街の人々が原色でもって鮮明に浮き立ち始めた。取り囲む風景はというと、ビルも、歩道橋も、人々と不思議に調和しながら、やっぱり原色なのだ。澱んでいるはずの空も例外ではない。
なるほどそうか、生活が見えないのだ。彼らの抱えている苦悩は、けっして知り得ないということを、彼らはよってたかって僕に思い知らせようとしているのだ。今なら、皺だらけの農夫に出会っても、きっと原色で見えるに違いない。そういえば、今日はすっかり春めいている。ほら、ボードレールの「声」が聞こえる。
「そなたの夢を大事になさい、賢者は狂人ほど見事な夢は見ていない!」
だが、どうやらこれは夢ではないし、だいいちそれに、僕は狂人などという御立派なものではなかったらしい。

稽古場で、つまらぬ挨拶を交わしていたら、渋谷の街は、またいつものように灰色のフィルターに包まれてしまった。さて、早いとこ家へ帰って、書見でもいたそうか。

そして・・・

ボードレールの「信天翁」……。
「僕は信じない、不徳の母が知識だとも、美徳が無知の娘だとも」

ある一線を越えると、言葉は決して真実を語らなくなる。全てが忘れ去られてしまったように、ただ甘美な詩を歌うだけだ。
いつか手帳に「忘却に就いて」と書きとめた。以来その課題はいっこうに進展しない。「紺珠」に「忘却の河」について書き付けるのは矛盾だし、「紺珠」を「忘却の河」に流すには、まだまだ苦悩が足りない。プラトニックなレズビアン、何故だか「道学先生プラトン」がしかめ面する〈レスボス〉も、「果しなく悩みつづける苦悩の故にそなたの罪は赦される!」 
ボードレールには!印が多くていけない。
(1984/2/24)
 

《1984年2月21日のノート》

 
ひと月ぶりに戻った東京。午後8時。親父はまだ帰って来てはいないらしい。

歴史の中で崩れていく大きな権威もあれば、人知れない個的な人生の中で薄れていく権威もある。運命でもあり、そうあるべきであっても、やはりそれは哀しいことなのだし、その哀しさにおいては、どちらも同価値だ。フロイトやフッサールが、芥川や太宰が感じていたであろう歴史の哀しさを、「父」というシンボルを通して感じている。

老いを恐れるが故に、むしろ死があるからこそ人は歩くのだ。当然のことなのだが。
(1984/2/21)
 

《1984年2月19日のノート》

 
芥川龍之介「三つの宝」。
〈左〉……、
「もっと広い世界」
「ただ我々はその世界へ、勇ましい一隊の兵卒のように、進んで行くことを知っているだけです。」
しかしそこは……、
「もっと醜い、もっと美しい、――もっと大きいお伽話の世界!」
〈お伽話〉ではなく、〈もっと大きいお伽話の世界〉とは一体何の喩? 道標の前で、立ち尽くす独りの〈兵卒〉。
(1984/2/19)
 

《1984年2月18日のノート》

 
「当世の通人はいずれも個人として考えれば、愛すべき人間に相違あるまい。彼らは芭蕉を理解している。レオ・トルストイを理解している。池大雅を理解している。武者小路実篤を理解している。しかしそれが何になるんだ? 彼らは猛烈な恋愛を知らない。猛烈な創造の歓喜を知らない。猛烈な道徳的情熱を知らない。猛烈な、――およそこの地球を荘厳にすべき猛烈な何物も知らずにいるんだ。」
(芥川龍之介「一夕話」)
朽ちた道標。〈右〉「通人」へ 〈左〉……「?」、欠損。「猛烈な物」は、〈左〉の先にあるのか、〈後〉にあったのか……。
 

《1984年2月17日のノート》

 
きのう鹿児島での公演後、宮崎の浜の、波の高い海で泳ぐ。いや、泳いだのではない、ただ浸かってみたのだ。冬の海は寒い? とんでもない、痛いのだ。

〈いったい何のために?〉
〈この痛さがいいのだ。生きている気がする〉
〈馬鹿丸出し〉

今日、広島へ。ひらひらと散る雪……。
東京も、今日、今年三度目の雪だという。
(1984/2/17)
 

《1984年2月8日のノート》

 
(だがアリサはいない……。)

三界六道
 三界-欲界、色界、無色界
 六道-地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上

自分の心の他には三界は無い。三界の現象は全て衆生の心のあらわれである。

「三界一心と知った上は、何よりもまず笑うことを学べ。笑うことを学ぶためには、まず増長慢を捨てねばならぬ」
(芥川竜之介「俊寛」)

捨てず、学ばず、それでいて僕はこのごろ笑いすぎている。だから酒乱になる。そう考えると笑えない。すると笑っている奴のほうが偉く見える。だが、ということは…、そうなると……。
喧噪の底でだらだらと時間は流れていく。
(1984/2/8)

 

《1984年2月2日のノート》

 
「美徳と愛とが解け合っているような魂があったとしたら、それはどんなに幸福なことだろう! 悲しいかな、美徳というものはただ愛に対する抵抗だとしか思われなくなる……」
「アリサ! 君は、なぜ自分で自分の翼をもぎ取ろうとするのだ?」
「主よ、あなたが示したもうその道は狭いのです。二人ならんでは通れないほど狭いのです」
「さようなら、愛するお友達。これからあの《勝りたるもの》が始まりますの」
(ジイド「狭き門」)

感動している。なぜだか、ひどく。
「アリサ…」と呟いてみる。
ジュリエット、君は何故身を引いたのか。

トーマス・マン曰く、「ジッドは正しいと信じたことを宣言した。彼は純粋なモラリストであった。彼は精神の好奇心の極点を持ち続けていった。彼の好奇心は懐疑主義となり、この懐疑主義は創造力と変わってくる……、不安、創造的な懐疑、無限の真理探求、……」
懐疑が創造を生むのなら……、今はどうでもいい。
「アリサ…」と呟いてみる。
(1984/2/2)

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