社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1984年5月25日のノート》

 
梶井基次郎「冬の日」。
「それは、たとえば彼が半紙などを忘れて学校へ行ったとき、先生に断わりを言って急いで自家へ取りに帰って来る、学校の授業中の、なにか珍しい午前の路であった。そんな時でもなければ垣間見ることを許されなかった、聖なる時刻の有様であった。」
……基次郎は天才である。

梶井基次郎は、何故、詩ではなく小説を書いたのか。そうした区別が無意味だというならばこう言い換えてもいい、彼は何故、より小説的な手法によって書いたのか。
基次郎は〈詩〉よりも、もう少し語りたかったのではなかったのか。〈詩〉の世界から〈論理〉へのわずかな傾斜。もしかすると、これこそが「幻想としての理想」が現実と関係しうる唯一の在り方ではないのか。

〈詩〉を憧憬しながらも、より論理的なことばを採用せずにはいられぬ性癖、そういうふうに言えば、例えば別役実の戯曲にもそれはいえるのかもしれないが、しかし別役の場合、基次郎とは逆に、〈論理〉から出発して、そして限りなく〈詩〉の世界へ近づいた、その結果のように見える。だからそれは、〈理想〉よりもはるかに〈あきらめ〉の色が濃いのである。
だが、夭折した基次郎に、僕は〈あきらめ〉を感じない。死を覚悟した者の現実世界への限りない憧れ。そこに〈あきらめ〉などない。だから、悲しい。
なるほど、太古、叫びから生まれたばかりの、いまだ言霊を失わぬ《ことば》こそ、それとは知らず、〈論理〉へ向けて一歩を踏み出した《希望》だったのではなかったか。
(1984/5/25)
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《1984年5月23日のノート》

 
梶井基次郎「冬の蠅」より
「元来一つの物に一つの色彩が固有しているというわけのものではない。だから私はそれをも欺瞞と言うのではない。しかし直射光線には偏頗があり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい階調から破ってしまうのである。そればかりではない。全反射がある。日蔭は日表との対照で闇のようになってしまう。なんという雑多な溷濁だろう。そしてすべてそうしたことが日の当った風景を作りあげているのである。そこには感情の弛緩があり、神経の鈍麻があり、理性の偽瞞がある。これがその象徴する幸福の内容である。おそらく世間における幸福がそれらを条件としているように。」

つまり、幸福とは不公平で偏っていなければならないということなのであろうか。基次郎は、溢れる幸福の眩しい光から埋没した自らの不幸について語ったのだろうか。

「なんという豪奢な心細さだろう」
(1984/5/23)
 

《1984年5月17日のノート》

 
「筧の話」…
「何という錯誤だろう!私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一方は理想の光に輝かされ、もう一方は暗黒の欲望を背負っていた。そしてそれらは私がはっきりと見ようとする途端一つに重なって、またもとの退屈な現実に帰ってしまうのだった。」
「課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている。」

安吾はドストエフスキーを「甘い」と言った。
基次郎の声を聞け!
問題は、「甘さ」ではなく、「深さ」である。
断固、反省などしない。
(1984/5/17)
 

《1984年5月16日のノート》

 
愛とは、言葉なのか、否か。
神とは、言葉なのか、否か。

生活している男を、信じるのか、否か。

僕は、古きハムレットではなく
太宰の発明した新しきハムレットであるのか、否か。
(1984/5/16)
 

《1984年5月13日のノート》

 
強者には、弱者の苦難は絶対に分からない。弱者に強者の苦しみが分からぬように。
誰もが、弱者であったことがある。だが、人は自分が弱者であったことは憶えていても、そのときの苦しさを忘れ去る。誰にも、弱者となる時がある。人は、そのことを知っているくせに、忘れたフリをして生きている。

かつての苦しさの記憶を忘却し、やがて訪れる苦しさに対する創造力を捨てることが、弱者が強者になるための唯一の道なのだ。
弱者は、強者によって殺される。強者になって、弱者を殺し続けながら生きていく苦しさに耐えられない者は、弱者であるより他に生き様はない。

はたして、この絶望的な苦しさを抱えながら、弱者の棲家から強者の領域へ移り住むことは可能なのだろうか。
善悪の問題ではない。孤独に生まれ孤独に死んでゆくそのわずかな隙間に表出する、時間という名の、神には理解不能な概念についての考察である。
(1984/5/13)
 

《1984月5月12日のノート》

 
僕は孤独なのではなく、ただ怠惰にも争いを恐れて、敗れる争いを恐れて、そして孤独のふりをしていると君は言うのか。
争いを避けて星となったあのヨタカに、君は何の想いも寄せることはないのか。
(1984/5/12)
 

《1984年5月11日のノート》

 
同じ時に存在することの許されぬ〈二つの憧れ〉

ひとつ
 僕はあなたの行方を知らぬ
 あなたも僕の行く手を知らぬ
 さぞ深く僕が愛したであろうに
 そうと気づいた君なのに

ふたつ                    
 行一はそんな信子を、貧乏する資格があると思った。
 信子は身篭った。

「行きずりの女に」と、「雪後」

ボードレールと、梶井基次郎。

花占いをするように……

だが、基次郎は31歳で夭折し、ボードレールは46歳まで生き延びたのである。

46歳まで?
(1984/5/11)
 

《1984年5月10日のノート》

 
太宰治の「盲人独笑」。
いいねえ、これは。

「なにことも。さたかならざる。よのなかに。かわらぬきみの。こころうれしき。」

「かわらぬこころ」とは、「ふるさと」と「あやめ」。
なんともね。

「やれやれ、いたや」
「ああ、さてもさても」
「さてもさても歯がいたい。」
「たたたたたたたた」

「あさねして、またひるねして、よひねして、たまたま起きてゐねむりをする」
ははあ、これが正調なのかしらん、でも、これはなんだか気にいらない。

「朝寝坊、昼寝したのに早寝して、時々起きて居眠りをする」
というのはどうだろう、うん、こっちのほうがいいような、でも、理屈っぽくて、リズムが無いかな。たたたたた…
でもさ……

「うへもなき。ほとけの御名を。となへつつ。じごくのたねを。まかぬ日ぞなき。」
何という悲しい文章。

「まい日。ばかのごとくなりて、日を、おくるにも、たいくつしてござり申、よそへもゆけずしかたがないぞ。」

それにつけてもさ、自分の生きている時代を愛せる人は幸せ。愛していたんだか、いなかったんだか。

「狐には穴あり、烏には塒、されども人の子には枕するところ無し」
「くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。」

そうだ、そうだった、と思い出す。そんな昔のことじゃない。でも、今日の事でも、普通の事はみんな忘れてしまう。覚えているのは、あの苦しかった時のこと、狂気の不安に脅かされていた時のこと、そんな記憶ばかりだ。

太宰治の「追憶」。
「夢うつつの中の景色だけはいまだにはっきりと覚えている。正気になった時のことは覚えていない。」

フロオベルは、「アル・テル・ナ・テ・ヴ・マン」(どっこいしょ)という言葉を見つけるのに三箇月を費やしたという。
「たたたたた」…
(1984/5/10)
 

《1984年5月4日のノート》

 
ずっと歯が痛い。何もする気にならない。
本当だろうか。何もする気にならないのは、歯が痛いせいなのか。
酒ばかり飲んでいる。飲めば次の日痛みが増すのを知りながら、その日の痛みを弱めるためにやはり飲んでいる。

H君にばったり会った。二度も続けてばったり会った。Yに、電車の中でやはりばったり会った。
こうしてずっと誰かとばったり会い続けていたいと思った。

無理に言葉をひねり出すのはやめようと思った。そんな能力もないように思えた。
(1984/5/4)
 

《1984年5月2日のノート》

 
芥川龍之介の、「彼、第二」を読み返していた。そうしたら、その結びの文章の中の一語を、僕は読み違えていたことに気がついた。

「夢の中に眠った僕が現在に目を醒ましているのはどうも不気味でならなかった。」

その「不気味」を、僕は「無意味」と読み違えて、それでそれがひどく心に残っていたのだが、なんとも間の抜けた話だ。なるほど「無意味」などという到って観念的な理由では日本人は死ぬことなどできない。
しかし、「不気味」なら死ぬかもしれぬ。狂気よりも、死を選ぶかもしれぬ。
(1984/5/2)
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