社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1984年7月31日のノート》

 
感情は自然連鎖の系列を形成する。それは原因→結果の連なりである。ところで、論理は結局のところその連鎖の尻尾である。それなのに、論理があたかも感情と無関係に見えるのは、感情という頭を持つ蜥蜴が、論理たる尻尾をいたるところで切り離して歩くからである。切り離された尻尾から蜥蜴本体の姿を想像するのは難しい。

ここに、ひとつの切り離された尻尾がある。こいつから、僕は新たに感情を作り出そうと考えた。論理を遡った先の離れた本体である感情を探しだすのではなく、論理を原因として新たな感情を生み出す。その密かな企ては、特に心理的に成功するように思われた。しかし……

例えば現実的な一個の人間の死、それに対する無感情。観念的論理的な死と現実の死の間にある限りなく遠い距離。「全ての人間の死を悲しむべきだ」という論理が〈悲しみの感情〉を生み出すはずであったのに、むしろそうした一般化は、どんな人間の死も僕を悲しませることがなくなってしまった。「全ての人間を愛するべきだ」、そんなお題目を唱えているうちに、僕は誰も愛せなくなった。何かが間違っている。ここでも、尻尾を捨てていった蜥蜴の顔が忘れられているのである。

「ゆきあたりばったりの万人を、ことごとく愛しているということは、誰をも愛していないということだ」
(太宰治「秋風記」)

「慈眼というには冷たく、冷眼というには汎かった。むしろその目は、何ものをも宥してしまうあまり、何ものをも救わない目であった。」
(三島由紀夫「火山院」)

それぞれを、きっと僕は検証しなけらばならない。「愛すること」と「赦すこと」について。
(1984/7/31)
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《1984年7月27日のメモ》

 
ひとときが永遠である、それでいいのではないか、というか、だからいいのだ、というふうに考えて。
というふうに感じようとして。
(1984/7/27)
 

《1984年7月23日のメモ》

 
 

《1984年7月20日のノート》

 
〈夢の手記〉
僕は鬱蒼としたジャングルの中を塒へと向かっていた。
頭上には腕のように太い幾本もの蔦が、複雑な模様を織り出していた。その内の特に太い一本は灰色の蛇だった。
突然そこに角の無い鹿が現われ、その大蛇を銜えて、そして猿のように枝から枝へと飛び去っていった。
僕が塒へ着くと、その片隅にさっきの鹿がその巨体を横たえていた。このジャングルの、僕を含めた全ての動物たちが塒を共有しているという観念を、僕はごく自然に受け入れていた。
蛇は鹿に飲み込まれていた。その蛇は未だ鹿の食道の中途にいてもがいているのであろう、鹿の喉は生々しく波打っていた。鹿は、蛇の力がやがて衰えるのを静かに待っていた。それは、あたかも小動物を飲み込んだ直後の蛇の姿だった。
僕は、苦しんでいる蛇に対する哀れみからか、横たわる無抵抗の鹿に向かって、何かひどくあくどい事をしたようだったが、いったい何をしたのか、目覚めた僕がそれを思い出すことを何かが妨げている。蛇は僕に救われたのか、ついに鹿の口からその頭を覗かせ、首をくねらせて鹿の喉笛に食い付いた。鹿は悲鳴を上げた、まるで後悔でもしているかのように。だが、鹿の悲鳴は僕の悲鳴だった。鹿の体内にまだ残されているはずの蛇の胴体に僕の右足が飲み込まれていたのだ。僕は今までのように冷静でいられるはずはなかった。僕は今度は懸命に僕自身の右足を救い出した。見ると、鹿はすでに息絶えていた。蛇は半死半生でぐったりしてはいたが、時が経てばその傷は癒えるに違いないと思われた。
全てがコンクリート色の世界だった。
僕は、何故か僕の喉に引っ掛かっている蛇の堅い皮を、必死に吐き出そうとしていた。そうしながら僕は考えた。「青々としたあの懐かしい草原へすぐにも出て行こう。」それは容易なことのように思えた。なぜなら、僕の今いるこのジャングルは、広大な草原に囲まれた、ちっぽけな長方形の世界なのだから。
(1984/7/20)
 

《1984年7月19日のノート》

 
トーンが落ちてきている、それが気になるんだと、音楽好きの誰かが言った。
僕もそれには賛成なんだ。
(1984/7/19)
 

《1984年7月16日のノート》

 
〈電話のベルが鳴っている〉 そう思って部屋のドアを開ける。
〈空耳だ……〉 再びベットに横たわり眼を閉じる。
〈また電話のベルが鳴っている〉 狂人のように跳ね起きドアを開け放つ。
〈空耳だ……〉 そしてそっとドアを閉める。〈今朝からこれで何度めだろう〉
静寂の空間に、今もベルは鳴り続けている。
〈だがもう決してこのドアを開けることはすまい〉
あのドアの外にあるのは、理念なくしては解決不可能なアンチノミーの大群、そう思い込めば少しは楽になる。そうして眠ろう。眠ってしまおう……。
それならば、《夢》でも口ずさみましょうと、見知らぬ少年が歌う。

 かわいい君よ 眠ろうボクと
 すべてを捨てて 夢の世界で愛し合おう
 あの日のように かわいい君よ 眠ろうボクと

束の間の妄想はかえって苦痛、僕は少年の首を絞める。絶望? そんなものは無い。何も無いのだ。満たされていないのではなく、満たすべき時間も空間もない。「質料」が無いからではなく「形式」そのものが無意味なのだ。
〈アラユル コトバ ニ あんちのみー ガ アリ……〉
あのドアすら、もしかすると幻なのかもしれない。「対象」が存在しているのか否か、それも判らぬほど、僕はすっかり麻痺している。だから、という訳でもなく、眠ろう、眠ってしまおう。あのドアのように、あの電話のベルのように、きっと夢さえ苦痛だろうから、夢さえ見ずに、唯、眠ろう。それは死にも似て、眠ろう、眠ってしまおう。
(1984/7/16)
 

《1984年7月15日のノート》

 
明るく、そして大きな窓から吹き込んでくる爽やかな風が
一緒に住む決意を二人のもとに運んで来たというなら

その窓に
まず純白のレースのカーテンを掛けなさい

硝子は一点の曇りも無いように
桟には一時も埃の無いように
よく磨いておきなさい

君達は子供なのだが
それは全くそうなのだが

人として生きていく佇まいということを
少しばかりの先輩として
僕は伝えておきたかったのです

   つまり

   僕の部屋の窓には
   あの懐かしい風が訪れることは
   もう永久にないだろう

   薄汚れた、たったひとつの窓

   つまり

   だから

   せめて君達は
(1984/7/15)
 

《1984年7月14日のノート》

 
ねえ君。ピエロが泣いちゃいけないよ。あんまり、当り前すぎるもの。 そういえば、芝居の〈ばらし〉はいつもヒステリックだっけ。 つまり課題は……? 「未練について」。
(1984/7/14)

 

《1984年7月12日のノート》

 
たんなる「むなしさ」を、いくらいじくりまわしてみたところで、「むなしさ」はいつまでたっても「むなしさ」であるという、しごくあたりまえのこと。
だからというわけでもあるまいが、ぼくは絵が描きたいのだということに気がついた。
その絵は「偶然」という題名。
理解し合い、尊敬し合い、愛し合うというのは単純なことです。
絵にかいた餅を食う。
かんがえることがてんでばらばら、つまりまともになってきたということです。
(1984/7/12)
 

《1984年7月11日のノート》

 
「妥協」に就いて。
「何と妥協するか」ではなく、「妥協という形式」そのももの有効性に就いて。

刹那が永遠に変わる時、寂々たる黄泉の世界が現れるのだということを、踊り続けた君達は、果して知っていたのだろうか。
(1984/7/11)
 

《1984年7月10日のノート》

 
夢を見た。
少女が居た。少女には一人の弟があった。父親は小柄だががっしりした体格だった。母親は「母」という相貌と「母」という性格を持っていた。祖母はきっと少女を愛していた。五人の家族は、公園のある遠い街へ移り住むために、一台の小さな車に体を寄せ合うようにして乗っていた。
運転している父親が、ハンドルを握ったまま肩越しに子供たちに告げる。
「もしお前たちが、あの公園を気に入らなければ、すぐにも住み慣れた街へ戻ろう」
少女は思った。
(だったら、気に入らないと言ってしまおう。そうすれば全部終われるんだから……)
それはとっても簡単なことに思えた。

しかして、遠い街のその公園は、少女にとって全く気にいるものではなかった。
(素敵な公園だったら良かったのに、そうしたら「気に入らない」と、あっさり言えたのに……。)
少女は、〈けしの花〉の咲き乱れるその公園を、必死に気に入ろうとした。

夢の中の少女は、僕の意志のようだったが、僕は確かに傍観していたのだ。

朝方、また別の夢を見た。
その薄暗い山荘は沢山の人間で混雑していた。僕は誰かを探していた。あの少女が必死に公園を気に入ろうとしていたように、僕は誰かを必死に探していたのだ。だが、探している人の顔を、僕はどうしても思い浮かべる事が出来なかった。
人々は僕に全く無関心のようだった。そして、それは一種の平安だった。

ガルシンの、「赤い花」の、「罌粟(けし)」の花の、その象徴の、意味・・・

「これまでは推理や憶測の長い道程を経て到達したことを、今では直覚的に認識する。哲学が作り上げたものを、僕は現実的に把握したのです。」
夢もまた現実か。心理学は「現実」を扱うのか。しかし……。

大江健三郎の「鳥」。
「睡気は現実の一部ということだ、《現実》は鳥たちのように柔らかくせんさいな感情をもっていない。かれのごく微細な合図だけでたちまち消えさって行く《鳥たち》にくらべて、《現実》は決して従順でなく頑固にかれの部屋の外側に立ちふさがっていて、かれの合図をはねつける。《現実》はすべて他人の匂いを根強くこびりつかせているのだ」
「おれはこのやりきれない生活を少しの幻影もなしにくらしていくことになるのだろう、しかも気違い女にまといつかれながらだ、ああなんというやりきれない生活だろう」

「毎日ただこの感触を感触として生きていたら
 ずいぶん楽しいことなんだが」
そうだそうだと、僕は賢治を読んでいたんだ。
「潮汐や風
 あらゆる自然の力を用いつくすことから一歩進んで
 諸君はあらたな自然を形成するのにつとめなければならぬ」
精神を肉体に還元する可能性について、なるほどこういう言い方もあるのかと、そうかそうかと、僕は賢治を読んでいたんだ。
夕方、開け放った窓から、涼しい風がやってきた。
「諸君はいまこのさっそうたる
 諸君の未来圏から吹いてくる
 透明な清潔な風を感じないのか」
そうして、僕は感動していたんだ。感動しながら「密室の美学から開放された詩人」賢治を、僕は読んでいたんだ。だが、密室に閉じこもった詩人なんているんだろうかと、僕は「密室の美学」を始めてしまったんだ……

(宮沢賢治に大地と農業があったように、例えば晩年のバイロンにはギリシア独立戦争があったのだ。多くの詩人たちが恋の詩を残したのは、彼らが恋をしたからなのだ)…

やがて夜が更けてくると、僕はますますつまらない言葉で考え始めていたんだ。
(愛し合い、理解し合い、尊敬し合うという単純なこと……)
つまり、これが〈肉体を持たない言葉〉という奴なのだ。そうは判っていても、僕は夜の密室にすっかり閉じこもっちまったんだ。
(傍観者とは勇気ない人の意ではなく真の善の体現者ではないのか)
というふうに。
(1984年夏)

 

《1984年7月9日のノート》

 
「NとZとは温順しい、心の濃やかな親友同志だったが、連れだって人中へ出ると、すぐもうお互いに毒口を利きはじめる。……きまりが悪いのである。」

違うだろう。きまり悪いから毒口を利くのではない。実は、それが彼らの本音なのだ。二人きりではしゃべれないことを、人中で放り出すよう吐き出す微妙な綾もあるのだ。チェーホフは何もわかっちゃいない。
そう思ったら、チェーホフの達観したような減らず口に、いちいち腹がたってきた。

「イヴァンは恋愛哲学を並べることはできたが、恋愛はできなかった。」
「彼女は明らかに夫を愛していたのではなくて、もっと高尚で立派な、存在しない誰かしら他の人を愛していて、この愛を夫に注いだのである。」

チェーホフは、いったいどこからネタを拾ってきているのだろうか。

「愛。それは、昔は大きかった何かの器官が退化した遺物か、それとも将来何か大きな器官に発達すべきものの細胞か、そのどっちかである。現在のところそれは、満足な働きをせず、ひどく期待はずれな結果をしか与えない」

なるほど、ならばチェーホフの辿った道に、その結果でも探してみるか。

「男が独身を守ったり女が老嬢で通したりするのは、互いに相手に何の興味も起こさないからだ。肉体的な興味すら。」

……それを反省たのだろうか、チェーホフは「四十五歳の女と関係して、やがて怪談を書きだした」とか。

「女への恋が冷める。恋から開放された感情。やすらかな気分。のびのびと安らかな想念。」しかし「男と交際のない女はだんだん色褪せる。女と交際のない男はだんだん馬鹿になる。」

そのかわり「人間は愚かであればあるほど、その言うことが馬にわかる」らしい。その結果、チェーホフの言うことは馬にもわかるようになった……?

すべて『チェーホフの手帖』…
(1984/7/9)
 

《1984年7月8日のノート》

 
今日はひとつ結論めいたことを書いてやろう。なるほど僕は勘違いしていたのだ。絶望は、もっと前から坦々と僕の中にあった。そうだ、絶望とは坦々としたものなのだ。だから、こんなものは絶望でも何でもありゃしない。こいつはたんなる淋しさだ。そして、僕はいつも誰かと、その淋しさを分かち合いたいと、ずいぶんと甘ったれた希望を抱いていたんだ。そうして、幾度、僕は負け犬として塒へ戻って来たことか。もういいだろう。帰ろう、あの懐かしい〈坦々とした絶望〉の世界に。

そうして、そこで僕は何を考えようか。肉体と精神の関係、しかし今度は肉体に拘束された精神についてではなく、精神を肉体に還元する可能性について考えるのだ。それは、言葉が肉体を持ちながら、なお自由であり得るかという表現の問題でもあるのだ。何故そんなことを考えるのか。僕は書くことを通じてふたつのことを知ったのだ。絶望は表現されることによってのみその名を変えること、言葉は肉体を持って初めて力を得ること。そして残された課題は〈自由〉であるということ。そのことに気付かせてくれたあの人に感謝しよう。

だが〈坦々とした絶望〉へ戻っていくなどと言う前に、お前はその〈坦々とした絶望〉とやらを疑ってみるべきではないのか。〈坦々とした絶望〉こそ、お前の〈甘ったれた淋しさ〉そのものではないのか。いや、そんなふうに概念の世界に閉じこもる前に、お前は、今ここでやり残した事はないのか。
(1984/7/8)
 

《1984年7月7日のノート》

 
だが、僕は君を置き去りにして遥か遠い高原に独り来てしまった。さらに小高い丘を見つけて、その青々とした野の草の上に腰を下ろし、眼下に広がる潅木の林の緑を僕は眺めている。心地よい風は、軽快なリズムで僕に「悲しみ」を運んでくる。

「僕は君の眼を覚えていない。ああ、僕は悪臭を放つ死体だ。僕の萎えた腕は、永久にその腕力を取り戻さないだろう。」

僕は号泣したい衝動に駆られていた。
(1984/7/7)
 

《1984年7月6日のノート》

 
ボクの心の中に、ポッカリとした空洞があって、そこからときどき、アーとかウーとか、すきま風が吹いてくるんだ。
〈、アー、ウー、貧困なイメージだね、アー、ウー、〉
その空洞のまん中にすわりこんで、ギターをひいてみようかな。きっとエコーがかかってステキだよ。
〈成長してないんだね、おじさん。きもちわるいよ、アー、ウー、〉
おじさん、飲みすぎちゃってさ、からだじゅうの筋肉がぜんぶゆるんじゃってて、ぜい肉がやけにブヨブヨしてて、暑くて、だからクーラーがんがんにかけてね、頭、ボーッとしちゃってさ、そのまま昼寝しちゃうんだ。もう、どうでもいいや、なんて言っちゃってさ。
〈、アー、ウー、アー、ウー、……

 僕は複素数の世界に居て虚数計算を始めた
  「多数の象形文字が複雑な記号で繋がれている
   一体この内のどれとどれが実数なのか」
 難解な多次方程式は永久に解けそうになかった
 ……、アー、ウー、〉

昼寝なんかするんじゃなかった。遠くに救急車のサイレンが聞こえる。読書でも、と古い本を開いてみたが、もっと軽いのはないものか。下で電話のベルが鳴る。あの音は暴力だ。僕のノートに実名が書かれていない事に就いてA君は不満なのだろうかとB君は考えた。こうして書いている間だけ、何かこう、……何だろう。さて、困った。ただ書き続けていたい。ダラダラと。越えれば先は妹背山。「浮雲」のようにふわふわと、竪板の、水の流れを堰かねて。あいつが辞めた。あいつにくれてやるつもりだった布団、無駄になった。人と人とのつながり(喉が乾いた)金の切れ目が縁の切れ目、という訳でもないのだろうが、最初から何も無かったと思ってみれば、今年もまたいつものように伊豆に行って、軽井沢に行って、それもあまり苦痛でないような気がする。支離滅裂。ヘラヘラと馬鹿言って、耳を掻いたら痰が出た。嘘じゃない。本当の話。書き続けていたい。ダラダラと。あーうー。

ともかく悩まないで欲しいのです。まさかそんなことはないと思うけれど、たとえば君が雪の白さについて思い悩んでいるとしたら、それは未来のほんとうのモラルにとって、きっと良くないことなのです。
ソレナラバ何故ソンナ顔シテルノデスカ
つまり、それはもっともっと深い所の苦しさのせいなのです。もしもその場所に誰かと一緒に立てたなら、きっとこんな僕だって、回復できるかもしれないと思うのです。

あー、うー。あー、うー。
(1984/7/6)
 

《1984年7日4日のノート》

 
夜の246を、僕は横浜に向けて車を走らせていた。近頃こいつのエンジンの調子がおかしい。速度を上げて暫く走っていると、時々アクセルとは無関係に回転数が異常に上るのだ。だがそんなこと、知ったこっちゃない。僕はしたたか酔っていた。

(ほら、また始まった…)

車は、僕の意志とは無関係に爆音をあげて加速し始めた。その音に怯えるように、歩道の女が、風に髪をなびかせて振り返った。

(俺のせいじゃない…)

上向きのライトは、一瞬間死人のようなその女の顔を浮かび上がらせたが、直後それは後方へ飛び去ってしまった。僕はエアコンを消し、窓を開け、カーステレオのボリュームを上げた。だが、女の顔の残像は、いつまでたっても消えることがない。しかし、そのカタルシスは快楽であった……。

一日かけて書き終えた日記。クラシックギターの機械的な指の動き。ほんのわずか増えた過去という時間。僕は、このいつ崩れるかわからない静寂の間に、一挙に深淵な苦悩に捉えられてしまえばよいと思い始めた。

「死者の奢り」……
だから、この日読んだ小説の題名を、こうしてノートに書き写すことをしても、昨日までのように、空虚な思いに苛まれることはなかった。無関係な他人の言葉も、ある程度消化出来るように思われたのだ。

だが……

「お前は、娼婦と寝ても、薄汚い大量の言葉をたれ流すのだろう。お前の気に入っている人間性とは、実は動物的な情念と、植物的な想念の出会う地点でしかない。それは生きた人間とは没交渉の『死者の奢り』なのだ。」

結局、躓くのはこうした言葉……。
それは〈深淵〉とは程遠い、揮発性の苦痛だった。 

また、性懲りも無く、過去形だけで書かれた日記を、書いて、いる。
(1984/7/4)
 

《1984年7月2日のノート》

 
過敏なのではなく、過剰なのである。何も慰めはしない。
ならば夏が過ぎ去るまで、じっと目を閉じていよう。余りにもありきたりな「寂しさ」なので、僕は口を閉ざそう。

そういう僕が、慰められている。
「クラムボンはわらったよ」
そして僕も〈わらっている〉。僕には少年の消化能力しかない。いや、少年の消化能力を得た、というべきか。
(1984/7/2)
 

《1984年7月1日のノート》

 
「僕を憫れんで呉れ!……さもなくば、僕は貴様を呪うぞ!」
(「或る禁断の書の為めの題詞」ボードレール)

誠実がどこかに飛び去ろうとする。僕の中に憎しみが生まれる事を恐れよなどと、いったい誰に向かって語ろうというのか。白紙だった。ただページの表示だけが忘れ去られた日付のように。何の比喩でもない、単なる象徴の、そのあまりの単純さに僕は目を背けた。僕は〈露骨〉から遠く離れたいと思い始めていた。配列された記号は重量の注釈でしかなかった。僕はそれから逃れるように歩いた。重量は残されたのだが。
しかし……

「そうだ、声が似ているのだ」

声の主も幻であったはずなのに、〈憎しみ〉によって幻は実在と結びついた。
「全てはあの声がいけないのだ」

足元を掘り起こしてみた。すると、僕の感情とは何の脈絡もない石灰色の「過古」が現われた。気が付くと、そこは墓場だった。一篇の叙事詩に過ぎなかった。僕はその心象風景に満足できるはずはなかった。もう、幻影ではないのだ。

僕は再び歩き始めた。だがもはや逃れるためではない。僕には微妙な感受性が影響していたのだ。それはおそらく「風」とシノニムだ。どこまでも墓場は続いている。僕は取り残された重量を握りしめていた。今となっては、重量が消滅するのをただ待つより仕方無いように思われた。
(1984/7/1)
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