社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1984年9月14日の読書メモ》

 
別役実の「そよそよ族の叛乱」
「人間てのはねえ、そいつが同じ部屋の中にいたら、関係しないわけにはいかないんだよ」
「人の分」を食べて生きている。
「最も清潔なふしあわせ」
「インドの、そしてアフリカのそよそよ族のみなさん。みなさんは今、飢えながら夜空の星を見上げております。その清潔なふしあわせの中で餓死する事を私は許可します。そして出来れば、そうするよう……命令します。夜空の星のための幻想は、そのようにしてしか守れないのであり、私もまたそれに参加しようと思っているからです。」

マルキ・ド・サド「ファクスランジュ あるいは野心の罪」
「人間は希望をもてばもつだけ、自殺ができなくなるものなのだ」
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《1984年9月13日のノート》

 
人は何故祝福しないのだろう。幸福は拡がらない。幸福とは、当事者だけのものだ。そして外部へ汚物をたれ流しながら、彼らは笑っている。

またぞろ幸福絶対量保存の法則。
〈それは「ほんとうのさいわい」ではないのだよ。〉
「カンパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸のためならば、僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」
「うん僕だってそうだ」カンパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう」
ジョバンニが言いました。

「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
宮沢賢治。
(1984/9/13)
 

《1984年9月11日の読書メモ》

 
大江健三郎「われらの時代」
「日本でリアリスチクな論理の眼を保ちつづけているとコミュニストは絶望せざるをえません。したがってかれはリアリズムを放棄することでコミュニストの純潔を保つ。」

「愛」と「出発」は、両立不可能。
 

《1984年9月11日のノート》

 
「希望とは、死ぬか生きるかの荒あらしい戦いの場にいるものの言葉だ。友情もまた戦いの時代のものだ」「おれは遅れて生まれてきた」
(「われらの時代」大江健三郎)

〈男〉とは男に付された名であるが、〈女でないもの〉とは名ではない。それは何者でもない。
〈戦争を知らない子供たち〉とは、あの時代の青年たちが自らに付した名であるが、現代の青年たちは、もはや〈戦争を知らない子供たち〉ではない。といって、当然のことだが、それは「戦争を知る子供たち」を意味しない。敢えて言えば、彼らは〈かつて「戦争を知らない子供たち」がいたということすら知らない子供たち〉である。それはやはり名ではない。それは何者でもない。

遅れて生まれてきた青年たちは、「遅れて生まれてきた」と叫んだ。それは悲痛な叫びだが、しかし彼らは「彼らの時代」を持っていた。〈遅れて生まれてきた青年〉という名を持った仲間たちを持っていた。
ところでこの僕は、「〈遅れて生まれてきた青年〉からも遅れて生まれてきた」と、ひとりで叫んでみるのだが、それは何の意味もない叫びなのだ。〈「遅れて生まれてきた青年」からも遅れて生まれてきた青年〉とは、要するに何者でもない。
(1984/9/11)
 

《1984年9月3日のノート》

 
「べき」ということが殆ど通用しない集団、それはひどく淫らだ。
現代は、ある種の盲目のみが、「セクス」を「嫌悪の観念」から解放して、古代ヴィーナスの美を復権させることができるのだ。
ある種の盲目のみが。
(1984/9/3)
 

《1984年9月2日のノート》

 
全てをさらけ出したい衝動がある。しかし懺悔の快楽は免罪の保障がその条件なのだ。その時、人は胎児のように安心して眠るだろう。
このごろ、夢に期待しなくなった。だから、眠ることがつまらなくなった。
(1984/9/2)
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