社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1985年2月19日のノート》

 
「アイヌ女がシャモ男を寄せつけて、色目をつかうようになった日から、アイヌの滅亡は始まったわけですわ。どんな人種だって、女たちの美の標準が大切なんですよ。女たちがもしも、ウタリ以外の異人の男に美の標準を置くようになったら、それでおしまいなんだよ」
「『刺青!』と雪子は身ぶるいした。とがらせた石や貝殻の破片、骨や金属の針で傷をつけられ、藍色の染料をしみこまされる痛みも、想像された。だが、彼女を身ぶるいさせたのは、そのことではなかった。また、女を盗られないようにするため、女の意思におかまいなしに、女の顔に自分たちの徽章をつける、部落の男たちのエゴイズムが、おそろしいからでもなかった。唇のまわりを青い刺青で縁どられてしまったら、その日から、まるで別の女になる。もはや彼女を愛してくれるのは、刺青の女を美しいと感じる男たちだけだ。そう決められてしまうことが、何より恐ろしいにちがいない。」
(「森と湖のまつり」武田泰淳)

「男と女はなーんも、一緒に寝なけりゃいけんというもんでねぇ。仲よぐ、兄妹のようにしていてもええだ、躰の関係さもてば、一時は楽しいが、肉と肉がさわいで、よろこぶだけのことだ。心は空しい。おりんちゃん、おめは、おらの妹だべ。」
 (はなれ瞽女のおりん、うれし泣きする)

僕は「文化」という話題でお茶を濁す。

失われていく日本の文化を守ろうと、たいへんなことをあなたは言う。だがあなたに見えている文化とは、その皮相な表面だけではないのか。
前近代的な苦しさなど存在しなくても、瞽女の文化はしっかりと残せるらしい。教養主義的に御座敷芸を批評していると文化人になれる。例えば長屋というものは、長屋然とノスタルジックに装飾されていなければならないらしい。昔の長屋の心は、むしろ安い公団住宅の方にあるのかもしれないのだが。
最後の瞽女唄の継承者に瞽女の心がある。なるほど、へその中で茶が煮え立っている。

失礼つかまつった。要するに茶化しているのだ。皮相な表面をなぞっているのはこの僕の方なのである。なにしろかく言うこの僕は、かつて“芦晃”などという大層な名を大先生から頂戴したりした事があるのだし、それについて、末は間違いなく文化勲章だ、なにしろ後継者が少ないのだから、などという言葉を、黙って聞いていた事もあるくらいなのだから、つまり僕こそがでまかせを語っているのである。

水上勉を、たんなるきっかけにして言葉の遊びを転がしているに過ぎない。だから、決して真意を勘繰ってはならない。

「お堂の仏さまより美しいぞえ」
「おらどが、仏さんだなんて……兄さま、おら、兄さまの妹だ、妹だ」
(と、おりんは泣く、妹であることが悲しいといって泣くのである。)
(1985/2/19)
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《1985年2月18日のノート》

 
1983年、ゲイの劇作家ジョン・グラインズ「トーチ・ソング三部作」が成功をおさめる。
「もはや、ゲイ芸術家を特別保護しなくとも、良い芸術は求められる時代になった」
それからもう2年。

「差別撤廃」とか、「人間の開放」とか、「既成の古めかしい悪しき道徳観のナンセンス」とか、そういういたって健康的で自信たっぷりな明るいスローガンと、それを支える「時代の感性」。
「こいつはいいことだ」というようなの声が、あちこちから、何故かぼんやりと聞こえてくる。

僕はというと、「意見なし」、ということにしておこう。

おてんとさまの下に出てきたオカマに、敢然と喧嘩を吹っかけたあのつかこうへい氏は、こうした状況の変化に就いて、果たして何とのたまうのであろうか。
(1985/2/18)
 

《1985年2月16日のノート》

 
悲しい、ふっと。

神の里、高千穂神社にて毎夜開かれるという夜神楽、そう聞いて出かけたのだが。
演じている姿に生気が無い。本来は、短いものでも半時間、長いのは一時間半にも及ぶ三十三種の神楽、夜を撤してその全てを行なうものなのに、その内の四種だけを選んで、それも短縮して併せて一時間足らずの見せ物に仕立てて物好きな数人の観光客に見せるのでは、やる方だって気が入らぬのも当然だ。

席を立って表へ出る。
篝火に映える松も鄙びた社も、こうなってしまってはもう何も伝えてこない。ただただ寒々としているのみだ。

どうなるわけでもないと知りつつ、ただ苦しむだけであることがわかっていても、僕はどうすることもできない。目を閉じて、神楽の太鼓の音に耳を傾け、気を鎮めようと勉めてみても、いっこうにままならぬ。

そういえば、延岡からこの高千穂に続く国道沿いの風景は、確かに美しかった。感情と共謀せぬ僕の貧弱な理性でも、確かにあの渓谷の美しさを認めてはいたのだ。

それらしきものを書き始めたいと思う。根の無い僕の理性に、〈心〉といったものを無理に接木してみようと思うのだ。
(1985/2/16)
 

《1985年2月6日のノート》

 
カイヨワの提示する遊びのカテゴリー。
だが、それらを現実に取り込もうとすると、途端におかしくなる。つまるところ、遊びであったものが遊びでなくなってしまうのだ。遊びを越えた遊び、冷静な狂気、言葉では簡単なのだが、要するに、所詮遊びは遊びであるから遊びなのであって、「遊びのカテゴリー」なるものを利用して遊びの分析などを真面目に始めると、遊びは遊びであることをやめてしまうということらしい。
遊びを越えればそれはもう遊びではない。冷静な狂気とは、どうしたって矛盾だ。カイヨワの真意は、無言の内にそれを警告することだったのではないかなどとも思えてきたが、いやいや、それこそいい加減に過ぎると反省する。
やはり正確さが必要なのである。カイヨワの定義を定立としての厳格な弁証法。その時、遊びはどのようにその名前を変えるのか。
(1985/2/6)
 

《1985年2月4日のノート》

 
愛し続ける事の出来る人は幸せである。
「心から頭を垂れるよ。心の中で、決して君には気づかれないように。」
(1985/2/4)
 

《1985年2月2日のノート》

 
延岡。朝六時、まだ暗い。根を下ろした寂しさ。
絶望なんてものではなく。
(1985/2/2)

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