社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1986年8月3日のノート》

 
右の耳の後に嫌な痛みがある。微かな、だが極めて不快な痛み。こいつは何時から始まったのか、記憶を辿るために手帳をめくってみる。そうか、京都だ。チェルノブイリの原子力発電所が燃え、その影響はやがて日本にも及び、汚染された雨が降り始めた。五月二十日もその雨が降った。その日京都で飲みに出て、その帰り傘をささずに雨にあたった。その次の日から、この痛みは始まったのだ。
以来7月7日の七夕の日まで、僕は休みなく働いた。耳の後は、毎日のように痛む。痛まない日もあったのかもしれないが、覚えていない。ひどい日は心臓の鼓動と歩調を合わせるように一日中トクントクンと痛み続ける、それで眠れぬ日もあった。多分そんな日もあったのだ、と思う。
7月11日、柄にもなくディズニーランドなんかへ行ってみた。その時も痛んでいたのだろうか。
13日、別班の公演を観に行く。打ち上げで、客演の歌い手が若い連中に向かって吠えた。だから僕は酔った。ひどく不機嫌に酔った。次の日、僕の右の耳の後は一日中痛んでいたんだろう。きっとそうに違いない。
18日、何年かぶりの軽井沢。そこに電話があった。なぜ誘わなかったのかとあいつは怒ったふりをしている。僕のせいじゃない。「元気か」と聞くから「元気だ」と答えた。久しぶりに正直に答えた。「ここでしか僕は元気にならないんだ」と、軽口も出た。
20日、仕事のため、そこから直接大阪に向かったが、すると、また耳の後が痛み始めた。
これを書き始めてから不思議に痛まなかったが、今トクンと一つきた。
大阪の仕事が了って、ようやく十日間の夏休み。僕は公演が無ければいつでも好きに休めるが、「社員」の連中にはそんなことは許されない。彼女も、ここぞとばかり沖縄へ帰った。旅費には、二年前に島から出てくる際に、何かがあった時の為にと、母親から持たされたなけなしの金を充てたらしい。この劇団の安月給では、金など全く貯まらない。戻ってきた彼女の表情が、心なしか行く前よりやわらいでいる。
また一つきた。トクンじゃなくてドクンときた。明日からまた少し忙しくなる。ああ、ドクンドクンと連発で来た。
もう、三ヵ月が過ぎてしまった。
(1986/8/3)

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