社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1986年12月11日のノート》

 
「生物の進化」「人類の進歩」……。
空虚な言葉だ。これらの言葉は、結局過去の歴史以外何も語ってはいない。
「人類の幸福」……。
考えてみればこいつもよくわからない。幸せだったりそうでなかったりするのはひとりひとりの人間であって、「人類」が幸福になるわけではない。
絶滅していった動物たち、彼らにもかつて幸福だった時代があったのだろうか。きっとあったに違いない。しかし彼らは絶滅した。すると、かつての幸福だった彼らの時代は無意味だったのか。絶滅した彼らは、類として不幸だったとでもいうのか。
進化は幸福をもたらすのか否か。ひとつの環境により適応するために、いわばその世界でより幸福に暮らすために進化し特殊化した生物の多くは、その後の急激な環境の変化に追いつけずに絶滅した。きっと、進化と幸福とはとことん無関係なのだ。

ひとつ……。

アイヌ。自らの身勝手な「幸福」のために彼らを「滅び」の崖淵へ追いやりながら、今になって尊敬の念をもって狩猟民族の世界観に学ぼうとはいったいどういうことか。学んで、そして「幸福」を捨てて滅びの運命から逃れようとでもいうのか。森の神が我々を呪う。「おまえたちなど、幸福に押し潰されて滅びてしまうがよい。」
強がりニーチェに対する反論として、いいもの見つけた。芥川龍之介「闇中問答」。
「ツァラトストラのどういう死を迎えたかはニイチェ自身も知らないのだ」

ふたつ……。

猿は森に留まり人間は草原に降り立った。「人間は革新、猿は保守、人間は革命によって猿から分かたれた」と魯迅は言ったが、人間は何に向かって進化し進歩しようとしているのか。ただ猿は変わらず人間は変わったというだけのこと。またこうも魯迅は言った。「中国の社会に変動がないために、昔を慕う哀詩もうまれなければ、斬新な行進曲もうまれないわけであります。」

するとだ。重要なのは進化ではなく、変化なのだ。変化が人間の感情を揺り動かす。そして新たな感情を呼び起こす。感情とはすばらしいものなのだ。感情を持つことは幸福なことなのだ。たとえそれが不幸な感情だとしてもである。

なんとも、あぶなっかしい連想ゲームである。
(1986/12/11)

 

《1986年12月10日のノート》

 
「黒い雨」を読んでも、僕は何も感じない。僕はあの〈ヒロシマ〉から限りなく遠い。
そしてきっと「アイヌ」からも……。
そんなふうに確認してしまうことが積み重なっていく。
そして最後に残るものは単調な頭痛。

情報過多、こんな言葉も聞き飽きた。もう何が起こっても誰も驚かない。何を見ても感動しない。いつか人間は想像力を失う。明日、自分の住む町に原爆が落ちるかもしれない、そんな時ですら、人はいつかテレビで見たきのこ雲を思い出すだけだ。想像力がなければ恐怖も生まれない。そして次の日、本当に原爆が落ちてくる。

「黒い雨」の一節。
「僕は或る詩人の詩の句を思い出した。少年のころ雑誌か何かで見た詩ではないかと思う。《おお蛆虫よ、我が友よ……》 もう一つ、こんなのを思い出した。《天よ、裂けよ。地は燃えよ。人は、死ね死ね。何という感激だ、何という壮観だ……》 いまいましい言葉である。蛆虫が我が友だなんて、まるで人蝿が云うようなことを云っている。馬鹿を云うにも程がある。八月六日の午前八時十五分、事実において、天は裂け、地は燃え、人は死んだ。『許せないぞ。何が壮観だ、何が我が友だ』 僕は、はっきり口に出して云った。」

書き写し乍ら、僕は僕自身のひ弱な想像力を刺激し続ける。僕の想像力、肥大せよ、と。
(1986/12/10)
 

《1986年12月9日のノート》

 
民族と愛、それと革命の弁証法。確かに考えていたのだ。だが、〈執拗〉に考えようとしていたか。「資本論」を今年中に読み終えるつもりだったが、見通しは極めて暗い。

世の中に弁証法など、そう都合よく存在するものではない。というより、すべての現実が弁証法の結果なのかもしれぬが、その必然性を証明することなど不可能事だという気がする。結局、それはミネルヴァの梟なのではないか。「世の中とは所詮こんなものでした」といった抹香臭い説教。

何となく身体がだるい。しかし、そういう時は、たいがい頭の方は痛くない。
してみると、冷徹な認識力を放棄することこそが、頭痛に対する特効薬なのかもしれない。
(1986/12/9)
 

《1986年12月7日のノート》

 
近くにある背の低い山並みは、もうすっかり真暗なシルエットなのに、その背後にそびえる雪を頂く富士は、遠い日の光を浴びて明るく銀色に光って浮かび上がっている。こんな美しい富士山を、僕は初めて見た。

「ここでは色々な富士山が見られるんでしょうね」
「はあ…」

富士の麓で暮らし毎日富士を眺めている人が、妙に感動している僕を不思議そうに見ている……。

気配は数日前からあったのだが、とうとう今日になって〈あいつ〉はやってきた。予め買っておいたアリナミンの封を切る。肩凝りの薬じゃ効くわけないと思いつつ、名古屋あたりで飲んではみたが、案の定大阪に着いても全く効果は現われない。
とたんに憂鬱になる。
(1986/12/7)
 

《1986年12月4日のノート》

 
四国は暖かい。だから人が違う。考え方が違う。
ニーチェは成程ドイツ人である。ならばこの僕は……

嘘だ。僕は嘘っぱちばかり書いている。〈本当の事〉は「暖かい」ということだけ。後は蛇足。実感だけ書こうと思う。でもそうすると何も書くことがなくなってしまう。
あ、もうひとつ見つけた。
〈池田は風変わりな町だ〉

〈あいつ〉はやってこない。やってこなければ〈あいつ〉は比喩になる。嘘と真実の境界。〈あいつ〉が比喩となる時、僕が語るのは虚偽か、あるいはより真実なのか……。
(1986/12/4)
 

《1986年12月2日のノート》

 
ゲーテが「ヘルマンとドロテーア」を書いたとき…
ゲーテは家庭を失っていたのか否か。「市民的秩序の喪失感」を抱いていたのか否か。
あるいは、ただ作家の眼で、「市民の家庭」を覗いていただけのことなのか。

さてもこの僕自身のこと。作家でも何でもない、「市民」ですらない僕のこと。
頭痛を治癒した(つまり失った)経験のない僕が、一生頭痛を抱え込むということ。

「おまえはどうするつもりなのだ」
「なるようにしかならない」

サルトルの自由論。
フランス革命における束の間の自由の顕現。その不連続性。
自由と「自由の感覚」の関係。
つまり、自由の実態は、自由の感覚以外の何ものでもないということ。
ヘンリーミラーは叫ぶ。「ぼくは自由なのだ!!」
改めて、「不連続」

僕のだらしのない連続。一見不連続なようだが、その正体は、要するに行き当たりばったり無為無策という情けない連続に過ぎぬ。

ニーチェを読んだら、大江が懐かしくなってきた。
ざまあみろ。だらしない不連続は、頭痛さえ消えてなくなる。このもっともだらしの無かった二日間、あいつはやってこないのだから。

別の頭痛はあるにしても。
(1986/12/2)
 

《1986年12月1日のノート》

 
先月の二十日から今年二度目の北海道。初めて体験する冬の北海道。札幌の公演では萱野茂氏が舞台でうれしい挨拶をしてくれた。だが、それでも書く気にはならなかった。二十五日、小樽からフェリーで舞鶴へ、京都大阪を経て二十八日に呉へ入る。途中の東広島で例の「交通事故禁止」の看板を見て、何故かすうっと書く気になった。呉で二日間、そして今日、これから松江に行く。

もう盛りは過ぎたのかもしれぬが、紅葉が美しい。僕は中国地方の紅葉が好きだ。日に日に冷気に急き立てられるような北国の紅葉ではなく、木々たち自身の意志で、一本一本自らのその静かな変化を楽しんでいるような、それでいて何故か〈諦念の紅葉〉と呼ぶべきような、僕はそんな中国地方の紅葉が好きだ。

「家庭というものは、人間なら誰でも、いつかは捕えられてしまう罠なのだ。どんな優れた、どんな生真面目な人でも、育ってきた過程で一度でも暖炉の温かさとか、躾とかを知ってしまった以上、どうにも逃れようがないものだ」

頭痛を抱えていく意志など僕にはなかった。それなのに僕は一生この頭痛を抱えていく事になるのかもしれない。何かに急き立てられている訳でもない。要するに頭痛のせいなのだ。この頭痛がなければ、僕は一生頭痛を抱え込むなど考えもしなかっただろうというわかったようなわからない話。何とも味気ない喩話。

僕はやはり南国の紅葉の諦念を思う。単なる諦めではない、諦めの意志というものを思う。その美しさを思う。
(1986/12/1)
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