社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1987年1月29日のノート》

 
いよいよ医者のお世話になるか。東京へ帰ったら医者に行くと、昨晩、決心した。だが、怠惰がその決心を挫かぬ用心に、医者に行くことをあいつと約束した。

今日の朝は頭痛なし。が、やがて一発ズキンと来れば、それから後はいつもと同じ。
煙草を止めても、吸ってみてもだめ。アンメルツ、アリナミン、昼寝、うたた寝、熟睡、風呂、サウナ、気晴らしの会話……、全て効果なし。東京へ戻れば医者に行く、そう自分に言い聞かせることが、今のところ一番効き目がある。

なんとなくの不安、それはきっと、漠とした《死》の恐怖が滲み出てくるのだ。もう、あの頃のように子供ではないから、恐怖がはっきりした形で現れることなどもうないが、決して解放されたわけでもない。解放されるわけもない。
(1987/1/29)
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《1987年1月28日のノート》

 
頭痛は、結局のところ、目論見に反して煙草を止める前よりひどくなった。禁煙してびっくりするほど体調は良くなったが、それは頭部以外の身体に限った事で、体がすっきりした分だけ頭痛に対しては敏感なってしまったようだ。頭痛のイライラが増し、さらに煙草の禁断症状のイライラがそれに重なるのだから、たまったものじゃない。たまらず、ついに煙草を精神安定剤として服用する事にした。
正味三日の禁煙。本当の三日坊主。
しかし、おかげで〈煙草を吸い続ける〉という志は捨てずにすんだというわけだ。ざまあない、じゃない、間違えた、ざまあみろ。

「三日坊主も持続も、どっちも怠惰の結果」

うるさい!
(1987/1/28)
 

《1987年1月26日のノート》

 
アホらしい…
煙草、やめることにした。

この一週間、頭痛の無かった日は無い。藁にもすがる思いで一大決心(ということにしておこう)。
《禁煙》
やめられる自信は無いが。

喫煙と頭痛の因果関係を匂わすものは何もない。だが因果関係が存在しないという証明もない。疑わしければ勿論、疑わしくなくともアリバイが無ければ処罰する。今や僕は暴君だ。それほど僕は、この頭痛に悩まされている。

昼頃に「止める」と決めたのだ。決めたら、ふっつりと頭痛が止まった。

〈タルホ的物理学者として「月は三角だ」というような画期的真理を発見する可能性は最早これによって閉ざされてしまった〉

……というわけである。
(1987/1/26)
 

《1987年1月25日のノート》

 
当時の我が駒場高校において、不法にも煙草をふかす生徒どもは、120円の〈ハイライト派〉と大枚150円の〈ショッポ派〉に別れていた。〈ハイライト派〉はバンカラを気取り、〈ショッポ派〉はこだわりを強調した。〈ハイライト派〉の流れを汲む過激なチェーンスモーカーの〈ピー缶〉に憧れもあったが、ピー缶を腰にぶら下げて歩くことは、さすがに高校生には無理だった。その代行としての〈ロングピース〉という選択は、どこかカッコつけ過ぎでイヤラシかった。その他にもポピュラーな煙草として〈セブンスター〉なんてのもあるにはあったが、しかしそんな甘ったるい煙草を吸う奴などはいなかった。もしもそんなものを吸っていたりするやつがいたら、軟弱者と蔑んで遊んでなんかやらなかったに違いない。

しかし、やがて高校生活もその終わりが見えてきたころ、その〈セブンスター〉を吸う堕落者が現われ始めたのだ。その多くは、今まで煙草など吸うことのなかった真面目な生徒たちであった。彼らは「健全」に「一歩一歩」成長して、ようやく「大人」になろうとしていたのである。けれども決して冒険しない彼らがまず始めに体験する煙草は、当然のことに当時の最も軽い煙草である〈セブンスター〉だったのだ。かわいいものではないか。
ところがである。ところが驚いたことに、〈ハイライト派〉や〈ショッポ派〉から脱落して、〈セブンスター〉を吸う者たちが出てきたのである。そしてその数は徐々に増えていった。何故そんなことになったのか、今だによくわからない。きっとそれが時代の流れというやつなのだ。
しかし〈セブンスター〉を吸う者がいくら増えても〈セブンスター派〉などは出来なかった。なにしろ彼らには〈セブンスター〉を吸うことに何の主義も主張も無かったのだから。ただ軽いというだけのこと、それが証拠に、やがて〈マイルドセブン〉などという情けない煙草が新発売されると、彼らは挙ってそれに切り替えたのである。

時は流れ、煙草を吸って悪がきを装っていた我々の仲間たちひとりひとりに、日本国家から法的に喫煙が許可されていった。その頃、巷では煙草の害についての喧伝がなされるようになっていた。嫌煙運動などという聞くもおぞましい魔女狩りも始まった。気がつくと、〈ハイライト派〉も〈ショッポ派〉もすっかり解体していた。かつて〈ハイライト派〉に属していた僕も、とっくに〈マイルドセブン〉を吸うようになっていた。
「金がないからさ、親父の煙草を失敬するんだ」
そういって、堕落を貧乏のせいにして自己正当化した。決して親父に金を出してもらってるんじゃない。盗んでいるのだ、そういって突っ張っていたが、たまに自分で金を出して買う煙草も〈マイルドセブン〉だった。

そうして、ついに恐るべき時がやってきたのだ。煙草を止める仲間が出現したのである。もはやそんなやつを「仲間」と呼べるのだろうか、などと嘆いている暇もなく、禁煙の輪は拡がり続け、久しぶりに集まったりすると、喫煙者は僕だけという絶望的な状況が、度々僕を襲うようになった。
「何故だ!」
僕は、思わず叫びたくなることがある。不健康に美学を感じていた僕らの時代、あの素晴らしき日々はどこへいったのか!

ある日、こんなことを言った奴がいる。「まだ煙草なんか吸ってるの、はやらないよ」
《てめえ、誰に向かってモノ言ってやがるんだ! てめえはドアホか! てめえは流行で煙草止めたのか! 煙草やめれば女にもてるとでも思っていやがるのか! 鏡にテメエのその腑抜けた面を写して見やがれ!》
確かに、俺だって〈マイルドセブン〉にまで堕落してはいる。そいつは認める。しかし俺は、どうしても宣言せずにはいられなかった。
「俺は、死ぬまで、絶対に煙草を止めない! 煙草吸って、死んでやる!」

明日に続くのだ!!
(1987/1/25)
 

《1987年1月22日のノート》

 
言葉……。 ほろ酔いの僕は考えている。言葉……、僕はそれを未来に開かれたコミュニケーションと呼ぼう。 言葉に対する不信が必然だとしても、人間は言葉に替わる手段を持たない。肉体によるコミュニケーションは閉ざされている。それは、今この時に見つめ合う〈あなた〉と〈わたし〉の、刹那のコミュニケーションに過ぎぬ……。舌足らずだな、と、ほろ酔いの僕は、半眼で考えている。 ままよ……。肉体は未来に対して閉ざされている。肉体が未来を語ることはない。未来に開かれたコミュニケーションの手段は言葉以外にはない……。 今が言葉に対する不信の時代なら、今こそ言葉を問い直す。言葉から逸脱することなく問い直す。言葉を言葉によって問い直す。確かに、君の好きな肉体は嘘を語らない。一方言葉は嘘に塗れている。その〈嘘〉を理由に言葉から離れていった君たち。僕は君たちに言おう。未来を語るということは、まさに〈嘘〉を語ることだ。現実には未だ存在しないことを語ることなのだ。 僕は、言葉にこだわっているのではない、未来にこだわっているのだ、と、ほろ酔いの僕は、目を閉じて考えている。
(1987/1/22)

 

《1987年1月21日のノート》

 
その宿屋の女将はどういうわけか妊婦で、二階の物干し台にどっかと立って、「富士山が見えますよ」と何度も大声で繰り返している。妙な客寄せだなと、帰宅途中の僕は懐かしい路地の隅からその光景を眺めている。
帰る家はもうすぐそこだ。玄関を入って戸を閉めると、外で若い男の声がする。妊娠している女将の弟か、お腹の子供の父親か、僕はその男に首を絞められている……

フェリーに揺られ、いやな夢を見た。これも頭痛のせいなのか。
朝8時20分、船は小倉に着く。船を下りて、そしてすぐに鹿児島へ向かう。

魯迅が本当の〈高士〉というものについて書いている。
その高士は靴すら履けないほど貧乏だった。それを伝え聞いてわざわざ靴を届けに訪れてくれた人に対し、彼は黙って裸足の足を差し出した。本当の高士とはそういうものだと。
してみると「たまには貧乏もいい」などとのたまう種田山頭火なる最近はやりの俳人は、魯迅言うところの本当の高士とは似て非なるものらしい。「梅花一枝を裏の畑から盗んで来て瓶に挿した、多過ぎるほど花がついている、これで仏間の春がととのうた」とは山頭火。一方の本当の高士が、はたして盗みをはたらくか否かは別として、たとえ盗んできたとしても、けっして「盗んだ」とは言いそうもない。否、盗んだという自覚すらないのだろう。やはり似て非である。
山頭火のほうは日本的で甘いのである。「水と空気とがタダだからありがたい」、ここまでくると不快である。日本特有の御利益宗教、それには自然に感謝する深い祈りが欠けている、そう言葉にするとなんとも薄っぺらだけれど、少なくとも〈タダ〉というのはどうもいただけない。水と空気がありがたいとしても、それは〈タダ〉だからではあるまい。
いずれにしろ、中途半端な優しさなど、糞食らえである。
(1987/1/21)
 

《1987年1月20日のノート》

 
船底部屋の小さな丸窓の外はもう暗い。仄かに浮かぶ工場の影が動き始めたところを見ると、どうやら小倉へ向かうフェリーも、近頃あの新しい病気で話題の神戸の港を出航したらしい。相変わらず頭痛がするから、寝てしまえばいいのだけれど、それほどつらくはないし、何かに追い立てられているようで、時間がもったいないような気もして、それで稲垣足穂を読み出した。この軽さが丁度良い。
 
今や問題は性ではなく暴力だ、とインポテンツの僕は考えた。足穂の文庫本を脇へ置いて、僕は連想ゲームを始めたのだ……

《稲垣足穂に対する反ニーチェ的反応》
カラフルなイルミネーションで飾られた夜の神戸の繁華街を青白く照らす月。その月が沈んで、太陽が月に替って朝になれば、そこは実は生ゴミの山。事務所の中では頬に傷のあるそのスジの男たちが金勘定しているのだ。結局問題は、月が本当は三角形であって、その三角形の月が非常な高速で回っているからこそ、月は丸く見えるのだという事にあるらしい。○が△を隠している。もはやわかりきったことだが、つまり性の実体は暴力であるということなのである。だがしかし、踊り子のバタフライは三角形ではないか。そうか、今や○(見かけの月=性)が△(真実の月=暴力)を隠すのではなく、△(暴力)が、あるいは▼(バタフライ=暗黒の暴力)が○(性)を隠すのだ。バタフライは生ゴミを覆うイルミネーション、そしてそれは、売春宿に行けずにストリップ小屋に通う哀れな不能者たちの象徴なのだ。タルホ氏の教えによると、こうした事を研究するのは、物理学者以外には適任者はないのである。そういう訳だから、この頭痛の原因がたとえ煙草だとしても、僕は物理学者として、どうしても煙草を止める訳にはいかないのである。

何故日本初の患者がこの神戸から現れたのか、なるほどそういう事であったか。つまり……

1)現代のペストを恐れてインポテンツとなった男たちは、売春宿から遠ざかりストリップへと走る。
2)バタフライは三角形である。
3)月が三角形である事を発見したのはイナガキ・タルホである。

これだけ資料があれば答えを出すのも簡単である。つまり、〈稲垣足穂=INAGAKI・TARUHO〉の化身たる〈大浦近蟹=OHURA・TIKAGANI〉は、何を隠そう神戸産の蟹なのである。これこそ物理学者としての、僕の最初にして最大の発見である。

今夜、大浦近蟹の生息するという静かな瀬戸内海の上でみる夢は、タルホ氏の言うように、本当にいつもと違うのだろうか……、ほんとうに。
(1987/1/20)

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