社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1987年10月17日の読書メモ》

 
ようやくつながり始めているのに、時間が無い。
小林秀雄の「ネヴァ河」について……
「違う」とだけメモして。
書きたいのだが時間が無い。一週間の旅で北へ。すると、また「違う」理由を忘れ、そしてきっと、途切れてしまう。
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《1987年10月15日の読書メモ》

 
ノーマン・メイラーの「マクドウガル小路の守護神」がよかったらしい。らしいというのは、どこがどういうふうにいいのか忘れてしまったのだ。ただ、メモに「いい」とだけ書いてあった。
その日思ったことは、その日のうちに書いておかないとダメなのだと、今日、いまさらのようにあらためて思った。
 

《1987年10月11日のノート》

 
読み続けている「資本論」の余白に書かれたメモ。
〈言葉→文字、ドラマ→シネマ〉
自分で書いたのに全く意味不明。

昭和16年、「白い壁画」という〈シネマ〉のシナリオに対する伊丹万作の批評。シナリオは「琉球の一孤島にだけ存在する特殊な風土病を研究」し「同じ病に感染してたおれる一医師の犠牲的な生涯を扱った」もの。伊丹曰く、「椎名(医師の名)のような逸材が、きわめて一部の人間にしか関係を持たない特殊な問題のために一命をなげうつことが惜しまれてならない」。

伊丹万作は大江健三郎のお気に入り。まさか義理の父親だからというわけではあるまいが、伊丹万作に対しては実に寛容。しかし三島由紀夫のことは決して許そうとしない大江。

僕はあげ足取りか。あがっている足を見つけると僕は書く気になる。というより、それだけが僕に書くことを促す。結婚生活はそれとは正反対、いかに地に足をつけていられるかが問題。それだから僕は結婚してから書かなくなってしまったのか。だとすれば、結婚前に書いていた僕の文章ってなんだったのだろう。ならばこれからは足で書いてみるか。

文庫の「良心宣言」に挟まったしおりに〈ソンケイ、シソウ、ベンキョウ、ラーメン〉と書いてある。これもまったく意味不明。先月、札幌でラーメンの出来るのを待っている時に書いたらしい。その時何かひらめいたんだろうが永久に思い出す気配なし。でも気にしちゃいない。どうせたいしたことじゃないだろう。きっとラーメン屋の偏屈おやじのちょっくら持ち上げた足を見て、犬のションベンでも思い起したくらいのことだろうから。

小林秀雄曰く、「生活するとは人と交わる事である」。
あなたのあげた足を、そっと手にとっておろしてあげるのが生活なのだ、きっと。
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