社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1988年6月1日のノート》

 
いけないと思いつつ、アイヌの事、途切れている。沖縄の事、途切れようがないのに、それも途切れている。途切れたってどうってことないものも全部途切れている。それから「小林秀雄」も途切れている。「大江健三郎」、無念にも途切れている。こんなにもいろんな課題が途切れちまったのは、ずうっと抱え込んでいる「資本論」のせいだ。「資本論」に係ってから、87年がとっくに88年になった。その間に結婚して劇団も辞めた。
なるほど、ズタズタなのは意識ではなかった。というより、何というか、物理的に、というか、どう言おうとどうでもいいけれど、実際の、現実のズタズタが、この意識をもズタズタにした、そういうことなのかもしれない。
ズタズタな世界を、ヘーゲルは「意識」でもって繋ぎ合わせて見せたけれど、マルクスにしてみれば、ちっともズタズタでないヘーゲルのその「意識」とやらが気に喰わなくて、そこでマルクスは、今度は〈赤い〉糸で世界を繋いでみた。そうして出来た「資本論」も、僕のこのズタズタを繋いではくれない。ヘーゲルにしろマルクスにしろ、どうも糸が太すぎるのだ。生身の人間の肉体に、スッと入り込んでこられる糸は、きっともっとずっと細くなければいけないのだ。赤いのか黒いのか、色など見分けられぬほどの細い糸。肉体に入ってこないこの「資本論」は、どういうわけか空気のようだ。そういえば、何もかもが空気のようだ。遠い昔の空気のようだ。最高裁の相変わらずの逆転判決、レーガン・ゴルバチョフの核軍縮の調印、それらは今日の事なのに、今日のニュースも、やっぱり遠い昔の空気のようだ。
(1988/6/1)
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