社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1994年6月29日のノート》

 
5月30日以来の登戸病院。定期検診。
結果は一週間後。沈む気分。
元気な子供たちの笑顔。こいつらを残して死ぬのは、絶対に不憫だと思う。
(1994/6/29)
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《1994年6月15日のノート》

 
「いってきます!」

「いってらっしゃい」と言った時にはもういなかった。窓の外をのぞけば、一目散に走っていくあいつが見える。
肩から半分ズレ下がって引きずりそうな黄色いカバンと、アゴ紐のおかげでかろうじて首にぶらさがっている紺色のベレー帽。
幼稚園は楽しいかと聞けば、楽しいと答える。本当かな、とちょっと気に掛かる。楽しくないと言えば、親が心配するということを、あいつはもう知っているのかもしれないと思う。

もう4歳か。

早いものだと思う。あまりにも。
(1994/6/15)
 

《1994年6月12日のノート》

 
4月の20日以来、毎日暇さえあれば昔のノートをパソコンで打ち続けている。仕事のある日も、帰ってくればすぐさまパソコンの前に座り込む。
昨日今日と久しぶりの休み、ここぞとばかりに朝からずっと椅子に根を生やしている。
すると母ちゃんの使い、サァノミナサイと、娘が効果の定かでない漢方薬を水といっしょに運んで来た。
「ありがとうね」
飲めば「マズイ?」と僕の顔をのぞき込む。僕はわざと顔をしかめて頷いて見せる。すると彼女は、なんとも嬉しそうな笑顔を見せる……。

頑固に変わらぬこの自分、それに対して、この子供たちは何と劇的な速度で成長し変わっていくことか、そう思ったら子供たちの事をどうしたって書いておかなければという気になった。といっても、あいも変わらぬ僕の事だから、結局は子供たちを鏡にして、そして自分の事を書くことになるのだろう。だがそれでもいい、〈書く〉とは所詮そういう事なのだ。むしろ、子供たちそのものを書き残しておけると思い込む事の方が傲慢なのだ。

そして、僕はやおらこの《新たなノート》を書き始めた。

「とうさん、おしっこ」

娘のSOSである。
「ほんのちょっと待ってね」
僕は生返事をして、区切りのいいところまでとモニターから目を離さない。

ああ、そして、振り返ればもう手遅れ、そこには水溜まりの中に立ち尽くし、恨めしそうにじっと僕を見つめている娘がいた。
なるほど、やっぱり僕は、子供のことを書くといいながら、現実の子供の危機をそっちのけにして、自分について書いていたのである。

まだ僕にも、こんな軽口を書き残すことができるのかと、妙に納得している。
(1994/6/12)
 

《1984年の僕を自己解釈する:2》

 
愛する子供たちへ
ずっと父さんは穴ぼこに落ち込んでいました。
毎日、お芝居という仕事はしていたけれど、現実は夢のようでした。
ただただ書物とだけ交渉をもち、自分の心の中だけを覗いて過ごしていました。
もちろん好き好んでそうしていたわけではありません。そんな自分に嫌気がさしてもいました。早く穴ぼこから抜け出したかった。そのためにこそ書物が必要だとも思っていたのです。しかし読めば読むほど、蟻地獄のように逆にその穴ぼこに捕らえられてゆきました。
そんな父さんを救ってくれたのが「おきなわ」なのです。

このノートは、父さんがどうやって「おきなわ」に導かれて穴ぼこから出て行ったかの記録でもあります。読んで、君たちはどう思うのだろう。「おきなわ」を知ってもなお、グルグルと迷い続ける父さんについて、でも弁解するつもりはない。ただ父さんは、きっと心から感謝していたのです。
(1994/6/11)
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Author:urashachoo
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