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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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《1998年5月7日のノート》

 
今日は晴れ。いつもは晴れれば仕事に行く、そうすれば疲れて机に向かう気になどならない、ところが今日は晴れているのにこうしてワープロを打っている。ということはつまり、今日は晴れなのに働かないで家にいる珍しい日だという三段論法。

やっと観念して芝居を書く気になったのかというとそうじゃない。ならば仕事がないのかというとそれも違う。今日も午前中には会社に行って、仕上げた図面を納品して、そして次の新しい図面を受け取りもしたのだ。でもさすがにそれから再度調査しに行く気にはならなかったということ。
なにしろ今日は天気が良過ぎて、気持ちが悪くなるほど暑いのだ。だから会社から真っすぐ帰ってきて、そうして午後からワープロを打ちはじめた。
ああそれにしても、ここのところずっと天気のことばっかり。よし、ではちょいと話題を変えて……。

Xジャパンとかいうバンドのメンバーの一人が自殺した。後追い自殺する少女たちがいるらしいとテレビのワイドショーでやっている。陽水の歌の文句ではないけれど、誰が自殺しようが、政治家が何を言おうが、けれども問題は、やっぱり今日の雨なのだ。傘が無いわけじゃないけれど、たとえ傘があっても、歩いて調査する地図の仕事は、雨では出来ない仕事なのだから。

そういえば〈君に会いに行かなくちゃ〉とテレビのニュースを見ながら考えていたあの唄の男は、そのあと、ほんとに〈雨に濡れ〉て出掛けていったのだろうか。思うに、きっといつまでも出掛けずに、結局一日テレビを見ていたんじゃなかろうか。たぶんそうだ。いや絶対そうだ。それどころか、次の日晴れても、やっぱりずっとテレビを見ていたに違いない。
それにしても、なんで彼には傘が無かったんだろう。そんなに貧乏だったんだろうか。まさかいくらなんでもそんなことはないだろう。きっと彼は、自分の傘をどこかに置き忘れて失くしてしまったのだ。
今の時代なら、例え一人暮らしの大学生だって傘の二本や三本は持っている。けれど70年代初頭のあの頃は、余分な傘などないという、そのくらい今と比べれば質素な時代だったということなのだ。言わばそんな時代のセンチメンタルが、傘も買わず、といって雨に濡れて出掛けて行くこともしない女々しい倦怠感を支えていた。

しかし、今やそんな時代じゃない。溢れる物の喧騒が、何故か正直な怠惰を許そうとしない。我が家にも、僕の子供の頃には無かったものがずいぶんとある。なくても困らないものがたくさんある。めったに弾かないギター、高い天井、観葉植物、二足目の靴、三本目の傘……。

夕方になって、息子がコンパスを貸してくれと言い出した。明日学校で使うのだという。なんでもっと早く言わないのかと母親に叱られている。当然のようにコンパスくらいは我家にもあると息子は思い込んでいたらしい。あるわけないだろう、なんでもあると思うな。そう言われた息子は、近くのスーパーまでコンパスを買いに行ってはみたが、売っていなかったとしょんぼり帰ってきた。ところが、息子のかあちゃん、ちょいと引き出しを開けてみたら、鉛筆とかボールペンとか、いつのまにか無駄に増えた文房具の山の中から、無いはずだったコンパスが出てきちまったのだ。
ああ、教育する機会をひとつ逃した……。

世の中大変な不景気だという。きっとそれはそうなんだろうけれど、しかし相変わらずテレビはグルメ番組だらけ。絶品のマグロを食わせるために、半分捨てて生ゴミにしてしまうことを自慢している店。世の中不景気なのは気分の問題、箪笥預金をやめてみんなで消費すれば景気も回復するという。たぶんそれもそうなんだろうけれど、でも今やどこの家にもきっと大概のものは揃っているのだ。二本目のコンパス、三足目の靴、四本目の傘、そんなものを買って、いったいどうしようというのだろう。無駄なものをたくさん買って、ゴミの山作って、そんな好景気とは何なのか。生きていくのにほんとに必要なものは何なのか。

今日、僕は会社で先月分の明細をもらってきた。売り上げはウン十万円。他に裏方の仕事もしたし。稼いだ金は、サラリーマンならどうということないかもしれないが、しがない役者やってるだけでは考えられない金額。
でも稼いでどうしようというのだろう。いくら稼いだってうちじゃ誰も喜ばない。わが家にだって必要なものは何でもあるのだから、切実に買いたいものなど特にない。家族旅行にでも行けばみんな喜ぶのだろうが、僕はゴールデンウィークも気楽に働きっぱなしというようなオヤジなのだ……。

書きたいことは他にあったのだ。仕事で町を歩いてにいると、いろいろな事がある。いろいろあった話をちょいと書いてみようかと思ったのだ。だが今度にしよう。
センチメンタルな怠惰が、許されていると信じることができる気分になったなら、その時に書いてみようと思うのだ。
(1998/5/7)
 

《1998年5月2日のノート》

 
相変わらず天気予報はよく外れる。今日の予報は雨、信用なんかしちゃいなかったが、朝方は大雨大風。それで体がすっかり休みのチャンネルに入ってしまった。

ところが、案の定というか、朝飯を食べ終わった頃には風も止み、雲の隙間から太陽が顔を覗かせた。
今朝の6時頃の天気予報では、一日雨だということになっていたのに、それからわずか2時間で、8時の予報では今日はもう降りませんときたもんだ。イライラする。心乱れて、考えることなんかできやしない。もう知るもんか。

午後2時20分、待望の雨が降ってきた。ざまあみろ、8時の予報もハズレだ。出掛けなくてよかった。
さて明日からは頑張って働こう。なにしろ明日からはしばらく雨降らずと天気予報で言っていた。
はてな、ということは、明日からずっと雨ということかしらん。
(1998/5/2)
 

《1998年5月1日のノート》

 
「ダルマサンコロンダ」……

十(とお)数えてふり返ると、今の今までそこにいたはずのダルマサンの姿が見当たらない。探せばダルマは坂の下。ローリングストーン、光陰矢の如し、そんな言葉のスピード感とは裏腹の不動の達磨、ならば落ち行く達磨は似非達磨。急坂を手も足も出さずに転がる達磨人形の姿は、重心が尻に寄っているから尚更、飛ぶ矢とは比ぶべくもなくみっともない有様に違いない。

はたしてこの僕こそがその惨めなダルマサンであったのか、などとは言いたくないけれど、少なくとも去年の8月に役者でなくなってしまってから、転がっていく状況を止める努力もせずに、アッという間に9ヵ月が経ってしまったことに間違いはない。なんで今頃こんなこと言い出したのかといえば、思い出したから。何を思い出したのかといえば、ちょいと昔まで自分はダルマでなくて役者だったということ。何で思い出したのかといえば、9ヵ月ぶりに役者としての仕事の予定が入ったから。

「ダールマサン、ダールマサン、にーらめっこしーましょ、笑うと負けよ、あっぷっぷっ……」
つい笑ってしまう情けなさ。
笑ったほうが負けとは、なんともおかしな遊びだこと。
(1998/5/1)
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