社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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(再掲)《1984年7月27日のメモ》

 
ひとときが永遠である、それでいいのではないか、というか、だからいいのだ、というふうに考えて。
というふうに感じようとして。
(1984/7/27)
 

(再掲)《1984年7月23日のメモ》

 
堂々めぐり。
だから、生活不能者。
(1984/7/23)
 

だー、ハイ。うり、ハイ。

 
うちのかみさんは年々と沖縄オバー化している。

だー、ハイ
うり、ハイ

「どう違うんだ」
「そっちからこっちは、ダーさ。こっちからそっちはウリさ。」

ほんとかしらん。
子どもたちは、ただニヤニヤ笑っている。

「やまとむこのオロオロ日記」を書けば直木賞間違いなしっだってミキちゃんに言われたっけ。ナイチャーにもウチナンチュにも共感されるはずよって。早くしないと誰かが先に書いちゃうよだってさ。

そうだ、今日から日記はこの路線でいくことにして、たまったら小説にしてみるか。

ナツキ、盗むなよ、って、フランス行っちゃったか。
 

誰も読まない呟きだから

 
ボクは専門家ではない。だから、たくさんの専門家の論を聞いて確かめる。そんなことが出来る年齢になった。

それとは違うはなし。

例えばNさんという表現者がいるとする。信頼するSさんという方が、Nさんのやっていることは間違っているという。なるほどと思えるご高論である。だが、それだけをもってボクはN氏個人を批判することはしない。あたりまえのはなしである。だが、どこか信頼するSさんを裏切っているような気もする。ここらあたりからやっかいになってくる。

ボクはSさんと一緒に、ある若い学者に会いに行く。その学者はSさんが批判したNさんに協力を得て一冊の本を出したことがある。ボクは、ブログでその著作を紹介することをなんとなく躊躇した。特に意味はない。ただ、何もしないことを選んだのである。

ある男がその著作の文章の一部を、まるで自分が書いたかのように丸々インターネットに載せていた。それまでも彼は、新聞記事をテキストにして紹介してしまうようなことをちょくちょくしていた。注意しようかとも思ったが、同様の事例が横行している未成熟なコミュニティーでのことだから、黙っていることにした。
それでも少し気になって、ボクはその著作を持っていたので、その著作が写るようにそれとなく書斎の画像を撮影してブログに掲載してみたのだが、はたして彼は気づいたのかどうか。

現実とは、かように面倒である。だが、一年も経てば全ての出来事は薄れていく。だからボクは、それを待ってこの本を紹介してみるつもりなのだ。ただ、過去の記事にそっと追記するだけのことだが。

沖縄のこと。
5年くらい経てば、お名前も公表しよう。誰も読まない呟きだから、漏らすことのできるため息。
 

つまらないハナシ

 
「世界に出ていって、傍若無人に振舞っている」
ふと思い立ってそう書き残した。さて、何を考えていたのだろう、何かにひどく腹を立てていたことだけ憶えている。

傍若無人な男が不愉快だったのか、世界に出ていかずに、チマチマと狭い場所で偉そうに振舞う言動が許せなかったのか。

どうでもいい、思い出せないことを無理に思い出すなど愚の骨頂。神経症の男を気にかけるほど暇ではない。シュールな感覚。阿呆が嫌いという性癖。

神経症といえばmixiを見限った。いくつかまじめに書いた日記は、捨てがたいものだけどこかに転記して、後は削除してフェードアウトする。吐き気がする閉ざされた世界。これ以上覗き見するほど幸せでも不幸でもない。
商売のための宣伝と、ほんの少しの情報収集機能だけはツールとして残しておくが、それにも大した意味はない。
個人的な連絡通路はそのまま。知った人たちに対する最低限の礼儀。

ものすごくつまらないハナシをした。
 

俯く者に方向を語る資格はない

 
批判めいた言説は、対象についての冷徹な批評とは程遠く、ただ自らの恨みを語っているに過ぎない。だが、だからこそ切実だともいえるわけで、時にはそういう駄々も必要なのだ。

どこかの誰かのことではない。つまらぬ他人を相手にするほど暇でもない。過去の「オレ」は、「オレ」のことにしか興味が無かった。「オレ」の嫌いな唯一の他人は、「オレ」だけであった。

「社長とは呼ばないで」などという呻きも、相変わらずまさにそれなのだ、それの何が悪い、と開き直ってみる。
例えば23年前の、坂口安吾をダシにして書きなぐったメモ。「オレ」は屈折しているのだとわざわざ宣言するためだけに認められた女々しい心情の反吐。

俯く者に方向を語る資格があるはずもなく、足元に自らの墓穴を掘る力すらない者に、深さという概念は無縁である。

そんな昔のことではないのだが、「オレ」は確かに懐かしんでいる。
 

(再掲)25年前の今日《1984年7月15日のノート》

 
明るく、そして大きな窓から吹き込んでくる爽やかな風が
一緒に住む決意を二人のもとに運んで来たというなら

その窓に
まず純白のレースのカーテンを掛けなさい

硝子は一点の曇りも無いように
桟には一時も埃の無いように
よく磨いておきなさい

君達は子供なのだが
それは全くそうなのだが

人として生きていく佇まいということを
少しばかりの先輩として
僕は伝えておきたかったのです

   つまり

   僕の部屋の窓には
   あの懐かしい風が訪れることは
   もう永久にないだろう

   薄汚れた、たったひとつの窓

   つまり

   だから

   せめて君達は
(1984/7/15)
 

(再掲)《1984年1月26日の午後のノート》

 
朝のノートを修正してみる……

僕と交渉を絶って 死んでしまった自然。
あの風景たちの 捨て去られた思い出。

無感受性と幸福との 悲しい共犯関係。

抜け出すのは 容易ではない。
抜け出す気も ない。
(1984/1/26)
 

再び過去に逃亡せよ

 
身分の違いによる言葉の豊かさ、そんないかがわしき風説を信じて疑わず、それこそも残す価値があるなどと勝手なことを言うから、他者は誰も振り向かなくなる。
マイノリティー? いったい何のことか、やがて理解する通路を閉ざす者たち。
どうであれ、下劣なナショナリズムに反吐が出る、という想念を想像することすら出来ない貧困な回路。

「ツンボ」「オシ」「メクラ」
お前の操る傲慢な秘密は、かつて狩られた言葉よりもずっと要らぬ記憶なのだ。

このところ僕は、あたかも分裂など無いかのように、先走って裏ばかり語っている。

わかっているよ。確かに先走っているのさ。どうやら脳細胞が痩せ細っていくところをみると、「死」の陰に脅かされているらしいのだ。その意味は、お前には決して分からないだろう。すると、青い血がひどく急いでいる。

もう一度、引き返せ。過去に逃亡せよ。そして他人事のように語るのだ。すると、お前は黙って騙されている。あたかも、永遠の生を得たかのように。

ソノドコガイケナイトイウノカ
 

TOKYO 197X年

 
行き交いすれ違う獣たち。
分厚い化粧。色とりどりの髪。タトゥーとピアスの穴で傷つけられた肉体。
まるで、みんな宇宙人だ。

けれど、故郷を忘れようとしたこの俺は、きっとこの街が、どうしようもなく好きだったのだ。

俺は、朝の来ない歩道橋の上から、漆黒の奈落に向かって聞いてみた。
「母さん、僕はあなたを殺していいですか」
体の中に流れる祖先の記憶という薄汚い血を、俺は憎み蔑んでいた。

そして、女たちと、スラングだけで語り合ったのだ。

どこかの星の夜は、いつもたった一夜の出来事だった。
そして俺は、毎夜毎夜、母を殺し続けたのである。

半年後の俺にとって、母を殺した記憶だけが、ひどく懐かしい。
 

ヤマトよ、そしてウチナーのお前よ

 
ヤマトの男たちよ
僕はお前たちに
この世界を満たしている後生からの風の声を
語って聞かせようと悶えている

お前たちはこの世界を知っているのか
せめても耳を傾けようとしたことがあるのか
この世界に置き去りにされた人々に思いを馳せてみよ

ウチナーの青年よ
君の島の
妻の痛みは、断じて僕の悲しみであり
僕の子どもたちの苦しみであり

それを疑うというのなら
僕は君と決別し
そして君を決して許すことはないだろう
君が永久にヤマトを許さぬように

いや違う
君が許さぬものはヤマトだが
僕が許さぬのはお前なのだ

握り締めた拳は、何も生み出さない
子どもたちが、お前の顔を、じっと見ている
 

(再掲)《1996年2月12日のノート》

 
仕事が無くて稼ぎが少なくても、子供たちと付き合っていれば笑顔になれる。ノートをワープロで打つという、ちっともお金にならないお仕事は、チョコチョコカタカタやっている。いつまでかかるのか、一向に見通しはたたないけれど、焦ってもいない。いつ死ぬかわからないというような、最初の頃の悲壮感は無くなった。だから急がない。何ヵ月もほったらかしていたりする。時には、ふとのんびり読み返してみたりもする。そうすると、手術直後の眉間に皺寄せた〈自己解釈〉とやらを、ちょっくら茶化してみたくなったりする。

そんなわけで……

《自己解釈の解釈と子供たちへの手紙》
自己解釈というけれど、相も変わらず他人の文章の引用。解釈される方もする方も〈同じ穴の貉〉、ちっともおもしろくない。手術から2年経って、父はまだ生き延びています。そして、やっとどうにか笑える余裕も出てきたらしい。そうしたら、自分のしかめっ面にやっと気がついた。

それでもどうか我慢して読んでください。最初の方はちっともおもしろくないけれど、後からおもしろくなるという保障もないけれど。

《「自己解釈の解釈と子供たちへの手紙」とやらを茶化してみる》
過去の自己を解釈するなんて、いったい何を言っているのでしょう。きっと久しぶりにずいぶんとお飲みになったのですね。旅先でもあなたは相変わらずワープロ三昧で、でもそれはひとり黙っておやりになっていたこと、それでよろしかったのに、天川村のペンション・ミルキーウェイが瀟洒な洋館だったので、珍しくワインなど飲む気になり、酔っ払っては自分の過去と、そして自分の病気について、大きな声で語ってしまったのです。昔のノートから削除したチェーホフのアフォリズムなのですが、あんまりお誂え向きなので、嫌味たっぷりに復活させてみましょうか。

「人間は好んで自分の病気を話題にする。彼の生活の中で一番面白くない事なのに」
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