社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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「近い」というさじ加減の嫌らしさ

 
おおよそ一年前のこと。
本当はこう書きたかった。

よくわからない。
客席は業界関係者でごった返していた。
世の中にこんなたくさんの美女がいたのかというくらい、小顔でスリムで美しくてかわいくて素敵でという女性が一杯。
(野郎のことなど覚えていない。)
ふー…  (どういう意味の溜息なのか)

これに近いことをmixiとやらに書いてみた。
「近い…」
このあたりのさじ加減のいやらしさ。もはや断じて削除と決めた。

「しかし、コメントとやらを付けてくださった方には申し訳ない……」
「そんなこと、思っちゃいないだろう」
「いや、それに近いことは思っているさ」
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社長など辞めた方がいい

 
一年前にmixiとやらに書いた日記。

「なんとなく踏ん切りがついた。
閉ざされた世界に大切な言葉を置き去りにはしないと心に決めた」

しかし、語ってはならないこともある。
それがここまで増えてくると、やっぱり社長など、辞めた方がいい。
 

静粛に!静粛に!

 
その登場は衝撃的であった。以来40年近く「作り上げられた自分」と向き合ってきた作家がいる。いや、そうではない。「作り上げられた自分」は、真実の自分を押しつぶすほど巨大であった。劇作家は、その自分と同じ名を持つ偶像と、やがて向き合うことを放棄してしまったというのが、本当のところなのかもしれない。

作品は歪められていった。作家自身が手を入れたとも聞いた。だが、僕は敢えて言う。作品は、作家の意志に反して歪められていったのだと。そして、僕もまたその片棒を担いだのである。

さらにその上、作家の深き思いを確信しながらも、知らぬ振りをして、彼だけのものではない神聖な言葉を、大和に対する武器であったはずの言葉を、インターネットの世界に「陳列」させて欲しいと、厚かましくも頼み込んだのである。

心優しき劇作家は、静かな諦念の微笑みとともに承諾してくれたのだが、その時、作家の胸に去来していた思いは、どんなものだったのだろう。

それだけではない。僕は、発表当時の台本を、神田の古書店で見つけたのだ。僕はその時、歪められる前の作品はこれなのだと、作家の真の思いはここにあるのだと、僕自身の責任で語らねばならなかったのではないか。それなのに僕は、そのト書きにあった美しき子守唄を紹介することでお茶を濁したのである。

僕の憂鬱を、きっと誰も知らない。

「戦時中、多くの朝鮮の女性たちが、看護婦として沖縄に来て、無理矢理売春婦にされたのを、わたしは目撃してきました。ゆえに天皇の●である島津●●や、皇太子の●、●●子も、天皇や皇太子の目の前で、米軍に強●……」
「静粛に!静粛に!」
 

(再掲)《1984年3月26日のノート》【僕は「太宰」ではなく尚も「太宰」である】

 
太宰治は書いた。
「僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を早熟だと噂した」
「けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した」
「わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものでなくて、悲しいんだ」
『斜陽』を読みながら、僕は思った。
〈本当だろうか〉

日本人は、日常を小説で考えようとするが、本来、日常とは哲学で考えるものだ、そう語った者がいる。そして彼はこうも言った。小説とは、「非日常」であると。

ならば太宰が小説で何を書こうとも、どうでもいいことなのだが、日本人が小説で日常を考えるというのなら、やはり捨てては置けないということではないのか。確かに、戦後の現実に幻滅していたには違いない。しかし「人間は恋と革命のために生まれて来た」とは、なんとも弱くて甘きに過ぎる。太宰の「現実」とは、実は左程にも偏狭な私生活に限られた世界であった。

「マルキシズムは、働く者の優位を主張する。民主主義は個人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。ただ牛太郎だけがそれを言う」
太宰の自嘲そのまま、「なんという卑屈な言葉だろう」。本当に不愉快なのだ。マルキシズムは、お前の自慰のための道具であってはならない。少なくとも、理念としては。

「ローザはマルキシズムに、悲しくひたむきの恋をしている」
そうして太宰は、恋や美を、新しい時代の新しい倫理に祀り上げようとするのだ。所詮「天皇」を愛した貴族の甘さと弱さである。
「天皇は倫理の儀表として之を支持せよ。恋したう対象なければ、倫理は宙に迷うおそれあり」
反吐が出る。太宰の言う「倫理」とは何か。なぜその「倫理」をこそ疑おうとしなかったのか。
サルトルは言った。「ナチスの占領下においてわれわれは自由だった」と。一方、太宰はがんじがらめの自分に陶酔しているのだ。

「斜陽族」などという風俗、「放埓に苦悩のない、馬鹿遊びを自慢する、ほんものの阿呆の快楽児たち」が、デカダン文学の生み出した産物ならば、それはこうした日常的作品の中に、「正しい愛情」だとか「蘇生したヒューマニティ」などという得体の知れないものを、密かに、そして巧みに織り込んだ作家たちの罪である。「ほんものの阿呆」は、やがて「天皇」を補完する存在に変質していくに違いない。

だが、所詮小説なのである。
「小説とは非日常である」、これを「小説とは非日常でなければならない」と言い換えてみると、「あらゆる現実的行為は悪である」という形而上学的ドグマと、妙な反応を起こして、僕はおもしろがっている。

「人間はみな同じものだ。この言葉は実に猥褻で、不気味で、ひとは互いにおびえ、あらゆる思想が姦せられ、努力は嘲笑せられ、幸福は否定せられ、美貌はけがされ、光栄はひきずりおろされ、所詮『世紀の不安』は、この不思議な一語からはっしている」
僕は「太宰」ではなく、そして尚も「太宰」である。
(1984/3/26)
 

(再掲)《1983年10月14日のノート》【書くことが無いのでイロハを書こうと思った】

 
井伏鱒二の残した言葉……
「書くことが無いのでイロハを書こうと思った。」

太宰治にとって、井伏鱒二はどんな存在だったのか。
太宰は……   やめた。

イロハニホヘト
(1983/10/14)
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Author:urashachoo
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