社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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もう過去のこと

 
楽日の次の日あたり、ある共演者から「お疲れ様でした」メールが来た。
「打ち上げに行きました。すいませんでした」とも書かれてあった。謝られる筋合いはないが、なんとも白けていた小生にどうやら気を使ってくれたらしい。

そのメールには、「もう遠い過去のことかもしれませんけど」という一文も添えられてあり、まあ確かに、最後の幕が下りた瞬間から、小生、次の舞台のことを考えていたわけだし、ほかの共演者たちが互いに抱擁しあったりしているのを尻目に、そそくさと楽屋に下りていったわけだから、皮肉めいたことを言われても仕方ない。

ただ、ふと考えてしまった。そういえば芝居が終わって、なんだか祭りの後のようなちょいと寂しくなって熱いものがこみ上げてくるなんてことも、確かに三十数年前にはあったが、プロの世界で芝居をするようになってから、そんなことは全くなくなってしまった。しかしそれは、ただ淡々と仕事をこなして、幕が下りれば過去のものとして振り返らないというのとは全く違う。

例えば演技のこと、今回の芝居ではどうだったのか、それはプロである限り綿々と続けていかなければならない内省。言ってみれば、プロにとって「演技」とは、いちいち舞台が終わって、センチな気分に浸っていられるような甘いものではなく、役者である限り、区切りなく課題であり続けるものだということ。

あるいは、むしろこのことの方が重要なのだが、例えば「沖縄」は僕がずっと抱え続けてきたこと、それは幕が下りたって何も変わりはしない。多くのプロの役者は、そういう生涯のテーマを持っていたりする人もいる。

むしろ「もう過去のこと」なのは、打ち上げで演出家と楽しげにカメラに収まろうとするあなた方のほうなのではないか。どんなへんてこな演出であったとしても、どれほど沖縄を蔑ろにしていたとしても、全てノーサイド。過去のこと。
「ちょっと沖縄のことがわかりました」
冗談じゃない。そんな簡単なもんじゃ無かろうに。でも過去だからその程度でいい。あなた方の「沖縄」は、もはや「思い出」なのである。

過去のことだから、センチな気分になったり、思わず感極まって抱き合って涙流したりできるわけ。演技も芝居のモチーフも、それが切実であればあるほど、プロにとっては感慨に耽っているヒマなんかありゃしないが、思い出作りが目的の方々に向かって、そんなこといっても詮無いこと。どうでもいい? その通りなのである。

アマチュアの共演者を批判するつもりなど毛頭ない、それははっきり申し上げておこう。そりゃそうだ。彼らにとっては一世一代の、もしかしたら最後かもしない楽しい経験(楽しくなけりゃ市民劇なんて意味はない、苦しさもこの達成感をより大きく感じるためだと、マゾヒスティックになれなければやってられない!)だったわけで、だから感動感激一杯の打ち上げ、いいじゃないか、問題なしだ。

くだらん。

実は今回、台本を書いた御大にこう言われて誘われたのだ。
「沖縄のことはさ、俺よくわかんねえから助けてくれよ。台本の言葉も、沖縄風に直してくれよ」
そう頼まれたからこそ出演を受けた小生、しかし始まって驚いた。あの「沖縄である必要はない」とあり得ないことを言い捨てた演出家と、僕がどんな腹立たしい思いで対抗したかなんてこと、もはや全ての幕が下りてしまえば、アマチュア俳優の皆さんの考えることではありません、ということ。

どこがどうあり得ない演出であったかは、また日を改めて書く、と言いつつ、ならばここいらで喋るの止めればいいのに、一度語り始めるとなかなか止まない嫌な性癖。

沖縄のこと知りたいので是非お伺いしたいのですけれど、時間がなくて、芝居が終わった後で必ず、そんな殊勝なことを仰っていた素人さんもいないではなかったけれど、あの打ち上げでの皆さんの晴れやかなお顔を拝見して、こいつら絶対に来ねえなと感じた。それはもう今や確信。
演技のことだって同じ。彼らにとって、演技なんてどうでも良かったのだ。そういうときっと怒るお方も多々いらっしゃるだろうけれど、でも間違いない、それがアマチュアってもの。

でも、アマチュアといえども、もし今後も機会があれば舞台に立って役者なんてものをやりたいというのなら、今回の半年という長い稽古で、あなた方は相当使えない役者になっちまったということを自覚しておいた方がいい。洗脳から抜けるためのリハビリはけっこう大変だと思われ…

ホントは左程には大変じゃない。目覚めれば、違う意見を受け入れることができれば。
僕の意見にも、口では「分ります」って言うのもけっこういた。でも半年間演技指導され続けると、それがどんな理不尽なものでも、受け入れざるを得なくなってしまう。そうしないと精神が持たないから。誘拐され監禁され続けると、犯人に同情し始めるのと同じこと。そんな風に自分を騙し思い込ませないと、やっていられない、生きていられないから。

たとえ僕の話を表面で聞いてウンウン頷いてみたところで、心の奥のほうでは本人も気づかずに耳を閉ざし、演出家の言葉に支配されていく。権力を持つ演出家の方を正しいと信じていないと、あの稽古場にはいられないから。これ、プロの現場ならいざ知らず、アマチュアに対しては絶対にやってはいけない演出方法。市民劇で、そんな現場を作ってはダメなのだ。

その演出家の提案で、今日、反省会なるものをやるらしい。過去を振り返って互いを称え合う会、ちょっとした辛口意見が出るにしても、それは宴会を盛り上げる薬味、座興、きっと戯言。さらに皆様が喜ぶ演出家の、あの長い演説つきなんでしょう。反省会? いったい何を反省するつもりなのか。

ともかく、気持ちよく杯を酌み交わすであろう皆様の気分を、小生の仏頂面で壊すわけにはいかないので、僕は出席を遠慮させていただくと決めた。

心入れ替えて、笑顔で次回のイベントの宣伝をしてこようかとも思ったけれど、今日僕が行って宣伝したってもう変わらないだろう。すでに案内してあるのだから、今日僕が行ってまた宣伝しようがしまいが、来る人は来ると、そう信じることにしよう。

もうほとんどの共演者にとって、「演技」のことも「沖縄」のことも、終わってしまった過去のものだから、そうした方々にとっては、僕のお誘いは迷惑千万、よく分っている。それも解らぬほど、馬鹿ではない。
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