Posted at 2013.08.28 Category : 書斎で書くこと
ツイッターの、表にはふさわしくない言葉を消し去り、少しづつ裏へと強奪してくる。
「僕はTV版の方が好きだった、と言えない空気」
表の、昨日のブログから、この呟きを抹殺した。
今日もまた呟きたくなったのを、なんとかこらえて沈殿させ、なお残ったウワズミを、今この深夜の密室で語ろうとしている。
監督が、というのが少し憚られて、彼女が、登場する人たちを「主演男優」と称して燥いでいる。その文言と、それに添えられた画像の違和感。違和感といえば、ナレーションが僕には全くダメであった。前は気にならなかったのに、それがひどく鼻についた。
「沖縄の、男の俳優に代えて録音し直せばよかったのに…」
「わかるわかる」
そんなふうに同意もあったが、みんな大人だから、誰も公言などするはずもなく、大人になりきれぬ天邪鬼だけがこうして時間を費やしている。
同じ感覚が、あの“抵抗の唄”の場面でもやってきた。番組という枠に押し込められていた時は、怒りを共感し、涙も溢れたのだが、何故か劇場の椅子の僕は腹立たしささえ覚え、そして自分でも驚くほどすっかり醒めていったのだ。
「大和の女性」…、それも感性豊かな、と、後で括ってみた。素朴を敬愛するが、凡庸なら見向きもしないという感性に、散在する苦悩は見えないだろうと食ってかかる妄想を育ててみた。
根拠のない予感があった。根拠のない、ということは、僕の審美眼こそがきっと怪しいのである。
しかし、芸術作品を見せられたわけではあるまい。ならば、僕の予感の根っこが、「傑作」と評されだした「作品」と無関係だから、と、無視するわけもいくまいし、せめて裏でこっそり語るくらいは許されていいだろうと、僕は咎められる前に言い訳を準備した。
「主演」ばかりではなく、会場には次々と、いまが旬のゲストがやってくるというニュース。「なんと!」という小見出し。いったい彼にどんな関係があるのだろう、いったいどこまで燥げば気が済むのだろう…
まだまだ尽きぬといちいち事例を論おうかとも思ったのだが。
「言い訳」は、言い訳と言わせぬための方便。
かの土地が仮に心正しき感性豊かな自由人たちにとっての象徴なのだとして、僕にとっても同様であるなら、ふと彼女が漏らしたように、僕もまた、あの場所へ二度と足を運びはしないだろう。
しかしながら僕には象徴などではなく、そうであってはならないのだから、できることなら知った人に誰にも会わず、機会を作って一日でも二日でも、ひっそり座りに行こうと決めているのである。
他に見つめるべき場所がないならば、という条件付で。
そのうちに、数年の時を遡って、もう少しはっきりと書くつもりでいる。
「僕はTV版の方が好きだった、と言えない空気」
表の、昨日のブログから、この呟きを抹殺した。
今日もまた呟きたくなったのを、なんとかこらえて沈殿させ、なお残ったウワズミを、今この深夜の密室で語ろうとしている。
監督が、というのが少し憚られて、彼女が、登場する人たちを「主演男優」と称して燥いでいる。その文言と、それに添えられた画像の違和感。違和感といえば、ナレーションが僕には全くダメであった。前は気にならなかったのに、それがひどく鼻についた。
「沖縄の、男の俳優に代えて録音し直せばよかったのに…」
「わかるわかる」
そんなふうに同意もあったが、みんな大人だから、誰も公言などするはずもなく、大人になりきれぬ天邪鬼だけがこうして時間を費やしている。
同じ感覚が、あの“抵抗の唄”の場面でもやってきた。番組という枠に押し込められていた時は、怒りを共感し、涙も溢れたのだが、何故か劇場の椅子の僕は腹立たしささえ覚え、そして自分でも驚くほどすっかり醒めていったのだ。
「大和の女性」…、それも感性豊かな、と、後で括ってみた。素朴を敬愛するが、凡庸なら見向きもしないという感性に、散在する苦悩は見えないだろうと食ってかかる妄想を育ててみた。
根拠のない予感があった。根拠のない、ということは、僕の審美眼こそがきっと怪しいのである。
しかし、芸術作品を見せられたわけではあるまい。ならば、僕の予感の根っこが、「傑作」と評されだした「作品」と無関係だから、と、無視するわけもいくまいし、せめて裏でこっそり語るくらいは許されていいだろうと、僕は咎められる前に言い訳を準備した。
「主演」ばかりではなく、会場には次々と、いまが旬のゲストがやってくるというニュース。「なんと!」という小見出し。いったい彼にどんな関係があるのだろう、いったいどこまで燥げば気が済むのだろう…
まだまだ尽きぬといちいち事例を論おうかとも思ったのだが。
「言い訳」は、言い訳と言わせぬための方便。
かの土地が仮に心正しき感性豊かな自由人たちにとっての象徴なのだとして、僕にとっても同様であるなら、ふと彼女が漏らしたように、僕もまた、あの場所へ二度と足を運びはしないだろう。
しかしながら僕には象徴などではなく、そうであってはならないのだから、できることなら知った人に誰にも会わず、機会を作って一日でも二日でも、ひっそり座りに行こうと決めているのである。
他に見つめるべき場所がないならば、という条件付で。
そのうちに、数年の時を遡って、もう少しはっきりと書くつもりでいる。