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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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萱野茂「アイヌの碑」と《過去の解釈》

 
過去のノートの、1985年の8月26日に記した文章の後に、何をどう反省したのか、「特筆すべきことが無かった」はずの一週間の出来事を、僕は箇条書きにメモしている。

22日 新潟泊
23日 小樽へ
24日 積丹半島神威岬、特筆すべき美しさ
    生うに丼、1300円、特筆すべき旨さと値段
    余市ニッカウ井スキー、試飲、蛇足
25日 札幌入

そして、さらに続けて、躊躇したような乱雑な書き込み。

19日 萱野茂「アイヌの碑」、自画自賛、駄作、あくまで読み物として

当時の僕に、正しい批評眼があったとは思えない。そんな僕の勝手な落書きを、ここで無責任に公開することは、もしかすると許されることではないのかもしれないが、これはあくまでも自らの未熟を報告するためのこと、どうかご容赦いただきたい。
いわゆる「観光アイヌ」としても働き、長老のアイヌ式の葬儀を、参列者からの白い目の中で記録し、失われていくアイヌの民具を買い集め、それらを展示する資料館を建設し、そういうふうに単純に並べてみれば、もしかするとアイヌの同胞たちから批判されかねない半生の、その苦労を綴るその語り口を、当時の僕は「自画自賛」と感じ、読み物としては「駄作」だと規定したのである。
萱野氏の半生に横たわる「ほんとうの出来ごと」に対して想像力を働かせることをせずに、「自画自賛」としか感じ取ることができなかった僕に非があることは間違いない。

といいながら、「駄作」などと言い放ったのと同じ間違いを、再び犯すかもしれないと恐れつつ、僕は今、萱野茂氏の「アイヌの碑」について、こう思っている。
萱野さんは、離れていった愛する同胞たちに向けて、必死に弁解していたのではないだろうか。「これが僕の本当の気持ちだったのだよ」と。
そう思って改めて「アイヌの碑」を開くと、やさしい文体で書かれてはいるのだが、僕はそのいたるところに深い悲しみを見つけ、涙なしに読み進めることが出来ないのである。

実際にお会いした萱野茂氏が話した「日本語」は、氏の著作の言葉とは全く違い、独特に滞り、独特に躓き、決してネイティブな「日本人」が扱う日本語とは思えなかった。何故そうだったのか、僕は、一生忘れ得ぬ萱野さんの「独特な声」を思い出しながら、いつかゆっくりとそのことについて考えてみたいと思っている。

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