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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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ある表現者からの手紙に答えて

 
拝啓。お手紙、拝読させていただきました。

「録音」には興味がない、ライブが好きだ、というあなた様のお言葉に対して、僕も100パーセント同意いたします。

ただ、僕の場合、いくつか別の事情があるのです。
まず「沖縄」のこと。それから「商品」というもののこと。そして、「音楽」のこと。
でも、それはここでは申しません。なぜならそれらは、あなた様が考えていらっしゃる言葉の表現そのものとは、別の次元の事柄でしょうから。

人は、何故表現するのでしょうか。
絵でも小説でも、なぜ人は自らの想念を「かたち」として残そうとするのでしょうか。

唐突ですが、「かたちあるもの」とは「死」なのではないか、と僕は思うのです。言葉もまたひとつのかたちです。一度発せられた言葉は、この世界の中で瞬時に凝固し、取り返しのつかない存在となって、発した者の支配から逃れていく。それは、ライブでも同じことです。
(なんだか、禅問答のようで、ごめんなさいね。)

生の舞台でも、終わった時、「もの」の感触を感じられる時が、僕にとってこの上なく幸せな時です。でも、今まで30年以上、3000ステージほどの舞台に立ってきましたが、そんな至福の経験は、数えられるくらいしかないのです。

そんなふうに、表現と死を関係付けて僕が考えるようになったのは、15年ほど前のこと、きっとその時の、死を覚悟した経験が影響しているように思うのです。
僕の「社長とは呼ばないで」というブログ(?)は、僕の子供たちへ向けた遺書でもあります。実は、かなり先の結末を見据えて、「たくらみ」ながら書き綴っているのです。もしよろしければ、どうぞ最初から読んでみてください。

僕のブログ(?)の最初の頃に書いた一節を、ここに再掲します。
「今日のこの日のこの観客以外に伝える相手を持たない芝居の、時代とともに変わらざるをえぬ〈軽薄な風貌〉と、薄れあるいは歪められやがて消滅する〈曖昧な記憶〉の運命に、僕は虚しさを感じた。本当は、それこそが芝居であったのに。」

昔、僕は舞台の仕事だけで食べていました。とはいえ、とても貧乏でした。それでも、アルバイトなどはしませんでした。そんな僕に、ある有名な役者さんが、舞台だけで食べていけるのはすごいことだよねと言ってくださった。その言葉に、とても励まされた思い出があります。
人に伝える言葉も、またひとつの「死」です。妙な言い方ですが、言葉が「確実な死」になってこそ、それを記憶した人の中に生き続けるのだと思うのです。
もしかすると、生きることの意味は、如何に死ぬか、「死のかたち」の中にしか存在しない、だからこそ人は、表現せずにはいられないということなのかもしれません。

また、いつでもお手紙ください。返事を差し上げて、ご迷惑でなければ。

(この文章を書くきっかけをくださった何人かの方々に、感謝の念を奉げます。)

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