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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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樺美智子のこと

 
深川の天ぷら屋で、落語の公演のチラシを置いてもらえないかと店の御主人と話をしていた。カウンターでは初老の紳士がひとり、昼間っからアナゴあたりを肴に一杯やっている。
「ちょっとそのチラシ、見せてくれないか。僕は落語が好きでねえ」
天ぷら屋の御主人によると、どこかの会社の社長さんらしい。
「東大の落研でね…」
さり気なく、東京大学出身であることを、さもどうでもいいことのように話の枕にして話し始めた。
60年安保闘争の賑やかだったある日のこと、その日は寄席に行くつもりだった。しかし、お前はデモに参加せずに落語なんぞを聞きに行くのかと批判され、優柔不断にもデモに参加した。あの時、屈せず断固寄席に行くことを選んでいたら、今頃落語家だったに違いない…
そんなわけはない。だが、話としては面白い。
「カンバがね…」
話は揺れる。
「カンバ」とは、あの女子東大生、樺美智子のことである。
彼女は、1960年6月15日、全学連のデモ隊が国会に突入、その際、死亡した。警官隊に虐殺された、と報道されたが、その真偽は定かではない。
紳士が口にした「カンバ」を、樺美智子と分かって聞いていたのは、きっとこの僕だけだったに違いないのだが、話の進行には何の支障もなかった。「カンバ」は単なる「彩り」か「くすぐり」。「カンバ」が何者かなんて大して重要なことではない。当の紳士も、この僕が樺美智子を知っていながら話を聞いているとは思ってもいなかったのだろうし、そんなことはどうでもよかったのだろうと思う。

しかし、僕にとってはそうではなかった。奥浩平氏は樺美智子についてこう語った。
「(樺美智子は)自然に、またはそうならざるを得なくてああなったのであって、マルクス主義者になろうと思ってなったのではない」
25年くらい前、僕はこの一文に、しばらく脅かされていたということを憶えている。自然に死んだわけではあるまい。22才という若さで、樺美智子は、永遠にマルクス主義者となった。本当は、その先に様々な人生の岐路があったはずなのに。

《自然に何者かになってしまう》
考えれば考えるほど、僕にはその言葉が、色々な意味において、とても恐ろしいことに思えたのである。

初老の紳士にとって、あの1960年は、ほんとうはどういう年だったのだろうか。まさか、落語を諦めた年だった、なんてことではあるまいと思うのだが……
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