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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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本質を見る無垢な目

 
ある写真家の技量がどれほどなのか、写真家がこの現代において生み出す作品が価値あるものなのかどうか、門外漢にとやかく言えることは何もない。だが、作品の伝えるものが、被写体よりもむしろ作者自身であるとするなら、どれほど優れた批評家が発した論評でも、それが正しく被写体を捉えていないという批判であるなら、それは僕にとって、つまらぬ言いがかりに聞こえるのみだ。

しかし、被写体が極めて現代的な問題を抱えている場合、写真というものが文字通りあたかも真実を伝えているかのような錯覚を与えるが故にこそ、当事者たちは写真の嘘を糾弾する。

美しい海を撮る。その写真の端に、汚い生ゴミが写った。それを切り取るかどうか。
およそ稚拙な設問だが、僕はそれを、意識的なトリミングの作業を思い浮かべて問うているわけではない。

ある無垢な写真家が、ただただ美しいと感じた自らの心を素直に表現したいと、写りこんだゴミを何の躊躇もなく切り取った。写真家には、はじめからゴミなど見えていなかった。なぜならこの写真家にとって、生ゴミの山は、この海の本質的な美しさとは無関係な存在であったからだ。写真家に嘘はない。むしろピュアな目を持っていただけだ。こうして仕上がった写真は、この海の本質である「この上ない美しさ」を伝える稀有な作品となった。
だが……。

「お前の写真は、あの海の現実の姿を捉えてはいない」
「私は、私の大好きな海を、ただ見つめていただけなのです」

この海に癒されるという若者たちがいる。
もっとこの海の歴史を学べと男が言う。そして、海に癒されるお前たちが嫌いだと、平然と言い放つ。

「生ゴミを捨てたのは、この海で仕事をするあなたの父親ではないですか」
男はそれに対して、憎しみを込めてこう答えた。
「親父がゴミを捨てたのは、お前たちの所為だ」
「私たちと、あなたの違いは、いったい何なのですか」
「歴史を学べ」

僕は、男に対する嫌悪感がこれ以上膨れていくのを恐れて、「好きなものは見つめることしかできないという良心」の側に寄り添っていくのである。何かが、取り返しがつかないほどに萎えていくのを感じながら。
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