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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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無花果の積まれた荷車の影に

 
読むパラさんで、「おきなわおーでぃおぶっく」のCDを扱ってくれることになった。読むパラさんのホームページでは、きっと「山猫合奏団」のCDと並べて販売してくれるのだろうと思う。
どちらも我々の会社で制作したCDなのに、「山猫合奏団」のサイトで「おきなわおーでぃおぶっく」のCDの宣伝はしにくい。逆もまたしかりである。
何もかもごちゃまぜにした世界を構築したい、そんな風に考えているわけなのだが、これしきのmixさえママならぬのだからどうしようもない。

実は、mixiという世界をうろうろして人探しなどしてみたのだが、なかなかうまくいかない。それには色々理由があるのだろうが、ひとつmixiの印象らしきものを言えば、コミュニティとかカテゴリとかでがんじがらめになっていて(というか、そうなるより仕方がないのだが)、そこに下手に彷徨いこんで場違いなことを言おうものなら、「トピずれ」と指摘されたりする。これが「KY」というやつか。
どうやらmixiの住人は、守られていると信じてmixiという隔絶された世界に安住し、無理解な外部との接触を嫌うらしい。誤解は困る。mixiを利用する人々イコール外部との接触を嫌う人々だといっているわけではない。mixiというシステムがそうさせるのであり、普段どんなに外の世界で闊歩している人でも、mixiの中ではそのような振舞いになるらしいと言いたいだけだ。いいとか悪いとかの話ではない。

mixiの日記に、そっとこう書いてみた。

0:30
深夜だというのに、そして雨も降っているというのに、今晩は妙に強気になっている。
どうやら若かったあの頃を思い出して、もう一度世の中というものを見据えてみようかなどと、自分でも不思議なのだが、そんな感覚が沸いてきたらしいのだ。
mixiの平穏も、もしかしたら世の中のガス抜きになっていて、シメシメとほくそ笑んでいる巨大な影を感じたりもするのだ。
ビジネスが、常にビジネスであるわけではない。
僕は、mixiの中の心優しき人々を連れ出して、mixiの外で、文責の署名が必要な世界で、未来を見据えて遊びたいと思ったのだが。
世界中から集まった商人たちのカーニバルの喧騒に、砂漠の市に迷い込んだ太った王が、無花果の積まれた荷車の影に隠れて怯えている。
(2008/9/20)

「読むパラ」さんは読書に関連した商品を扱っているわけだから、まさか野菜や果物を売ってくれなんていったって無理な話なのだが、それにしても僕は最近、大航海時代の商人のロマンに思いを馳せていたりするのだ。
海洋民族ウチナンチュ、沖縄のチャンプルなどと引っ付けてみたりすると、火花が散ってソワソワする。しかし、そうした商人たちのバイタリティーが、世界中に点在して住み分けていた多様な秩序をぐちゃぐちゃにして、実は出会わずにいれば幸せだったかもしれない人々を街の中へ連れ出して、彼らから、安らかに流れていた悠久の時間を奪ってしまったことも事実なのだが。

いまや「多様な時代」だという。ひとりひとりのアイデンティティーという。その中でたくさんのコミュニティーが乱立し、ルールといえば他者との距離のとり方のみに終始し、もはや「人間として考えるべきこと」などという「重量」はどこにも存在しない。

本来人間とは、もしかすると唯一絶対なものに頼らずには生きていけない存在ではないのかという疑念を持ち続けていないと、とてつもない落とし穴にはまり込んで、そしてそれに気がつかないということになるのではないかと、やはり僕は、あの頃の若き日の自分の想念を、忘れることができないのである。

ならば、ただすべてを確信犯的にごちゃまぜにすることのみに活路があると、そんな着想が曼荼羅を求める理由であったのだが、あでやかな色を全てよく混ぜてしまえば、灰色の世界にしかならないということも、また、自明のことなのである。

僕は、自分の結婚式以来、カチャーシーを踊ることを拒否し続けている。
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