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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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儀間進氏の「ほんとうのはなし」

 
「話したくない戦争のことを初めて話す時のね、その言葉は、ほんとうに伝わってくるのだが、語り部の方々は慣れてしまってねえ、スラスラと話して感動がないのです。ちょっとつっかかるような演技をすればいいのだけれど、プロではないからねえ」と儀間進氏は屈託無く笑った。
それがたとえ「ほんとうのはなし」だとしても、「内地」の人間には、とても語れるようなことではない。沖縄の人の気もちを傷つけはしないかと躊躇して、語り部の方々の話に感動がないなどとは、とても言えるものではない。ましてや初めてしゃべるように演技すればいいなんて、冗談にも口には出せない。それを儀間氏が語ると、なぜかとてもうれしくなる。

「100人いれば100通りの戦争体験がありますからねえ。いい日本兵もいた。絶対に死んではならないと必死に説得し、最後まで住民を守ろうとした日本兵もいました。その反対もいたけれどねえ。」

安易な結論を導き出してはならないと思う。決して。

「対馬丸が沈んだのは、公然の秘密だったねえ。」
「え? そうなんですか」
「対馬丸が撃沈されて、たくさんの子供たちが死んだのではないかという噂は、どこからともなく流れてきました。僕は、その一週間くらいあとの船に乗って九州にひとり疎開したのだが、対馬丸が沈んだらしいということを知ったうえで船に乗り込むのだから、それなりの覚悟は、みんなあった。」
その後、あの悲惨な沖縄戦が始まる。そうなれば、誰も対馬丸の噂にかまけてなどいられなかった。自分の命を守ることで、誰もが必死だった。対馬丸は、みんなの記憶から消えた。

儀間氏は言った。自分に戦争体験がないことが負い目なのだと。だが、撃沈されるかもしれないという覚悟を持って疎開船に乗ったという経験が、どうして戦争体験でないといえようか。しかし、儀間氏のいう負い目とは、あの沖縄戦を沖縄の人々とともに体験しなかったということなのだ。

沖縄が大変なことになっていることは、疎開した九州にも知らされた。
「しかし、ちっとも悲しくありませんでした。なんでもなかった。ニヒルでしたねえ。戦争が終わって、沖縄に戻って、焼け野原になった沖縄を見ても、何も感じませんでした。きっと、頭がおかしかったんだろうねえ」

僕は、この儀間進という大好きなオジイから、もっともっとたくさんの話しを聞きたいと、心から思っていた。
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