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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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破綻し、言葉を失っていく。

 
今日も、破たんしている。

整理券をインターネットからダウンロードして、なおかつ先着順にするということに、どういう意味があるのか。整理券が何枚ダウンロードされたかを管理しているならともかく、そうではないと関係者から聞いた。つまり、何枚整理券が出回っているのか、全く把握してはいないのだと。ならば単なる先着順と、どう違うのか。

しかしそれが決められたルールなら、それに従って並ぶつもりでいた。
ところが、あちらこちらから招待券を準備しているという連絡が来た。とてつもなく忙しいから、30分でも事務所に長く居られるのはとても有難い。

大隈講堂前には、たくさんの人が集まっていた。僕の席は、すでに確保されているらしい。こういう特別待遇は、なんとも申し訳ない。差別を告発する伝説の舞台、すべての観客を同等に扱う、そう発想するスタッフが、一人や二人いなかったのだろうか、などと、勝手なことを思ったりする。
案内された席は、たくさんの招待席の中にあった。できればご遠慮申し上げたかったのだが、知った方々の手前、そうもいかない。

1903年。大阪天王寺で開催された博覧会。「人類館」というパビリオンに「支那」「朝鮮」「アイヌ」「台湾生蕃」「琉球」「印度」「爪哇」「バルガリー」の人々が、生身で「展示」されることになった。
清国などからの抗議によって、「支那」「朝鮮」の「展示」は中止される。
開館後、沖縄もまた抗議を開始する。
「どこから連れてきたのかわからない娼婦を琉球人と称して、沖縄をアイヌや生蕃と同じように扱うとは何事か」

開演前、延々と主催者の挨拶があった。
なるほど、ここは劇場ではないのだと、改めて思った。そうして周りを窺うと、シンポジウムのような雰囲気がしないでもない。

差別されるものが差別する側に変わる、それがひとつの大きなテーマだが、「沖縄」が「沖縄」自身を差別するという構図までが限界である。「アイヌ」も「生蕃」も、置き去りにされている。
しかし、それを理由に、この舞台の価値を云々するつもりはない。出発点は、ここでもよい。

初演から30年以上の時を隔てて、例えば日の丸を焼き捨てる場面などは削除された。この改変の理由は何なのか。時代が変わったということか。それも確かにある、と思う。だが変わらぬことが多過ぎる。何かを恐れているのなら、断固違う。

しかし、今日の僕が破たんしているのは、そういうことではない。

今の沖縄ブームこそ、巨大な人類館なのではないか、シンポジウムで、学者はそう言い放つ。
その指摘は、沖縄の女性を妻に持つこの僕自身をも刺す。

だが、それも今日の破たんとは無関係だ。

僕の斜め前に座ったひとりの「ウチナンチュ」。その人は、3人の出演者が拍手喝采に笑顔で答えている時にいたっても、腕組みを決して崩すことはなかった。
「この芝居は、やはり3人で演じるべきものだと思わせて欲しかった」と、後で彼は語った。

ロビーに、3人の役者が並んでいる。インテリたちは、彼らのところへ殺到するような、そんなハシタナイことはしない。
「おお久し振り、今なにしてるの」などと、それぞれ別のところで、再会の挨拶などを交わしている。
3人の役者が、とても小さく見える。
ここが、現代の人類館なのではないか、そんな錯覚に襲われて、僕は身震いをする。
はたして観客は、一冊の優れた解説書を読むのとは異質の、見知らぬ何ものかに出会ったのか。

お芝居ごっこ。

やはり招待された若き演出家が饒舌に正論を述べる。
「登場人物たちは、陳列されていなければならなかったのに」
「女は娼婦なのに」
「調教師は圧倒的でなければならないのに」
彼は、今日の舞台に、何を見たのか。

見ようとしなければ見えぬものもある。確かにそれは、プロの表現者が使うことの許されぬロジックである。
しかし、僕は破たんしている。
いったい僕は何をすべきなのか、何を見続けるのか。はたして僕は、何を伝えようとしているのか。

僕は、破たんしていい、と思っている。
彼は、沖縄からの闇のような眼差しに曝された経験があるのだろうか。彼は、沖縄の何を知っているのだろうか。

「それはそうなのだが」
しかし、彼に同意することを、何かが妨げている。それは何なのか。
あのロビーでの3人の姿が、僕の脳裏から離れない。きっと、あの3人が、沖縄に生まれたからこそ抱えているであろう何か。そして僕は、言葉を失うのだ。

若き演出家が、饒舌に正論を述べている。

腕組みをして、舞台を凝視していたのと同じ眼が、僕を撃つ。沖縄云々を語る以前に、お前は、表現者ではないのか、と。

「あなたはどこのご出身ですか。なぜあなたは、沖縄に対して、自分をナイチャーと言うのですか。なぜ自分の出身地を言わないのですか」

若き大和の演出家は、それに同意する。
そう言えば、彼の出身地を、僕は知らない。

僕には故郷はないと、僕は破たんし、そして、愈々言葉を失っていく。

現代という名の人類館。
僕はそこに物見遊山でやってきたのっぺらぼうの宇宙人なのか。
いや、そうではない。ショーウィンドウに映ったおぞましい自分の顔を見てみるがよい。虚ろな眼は淀み、半開きの唇は紫に渇き、眉間の皺は友を寄せ付けず、お前の顔は、死相が漂いながらもなお未だ生臭い悪臭を放っているのだ。思考だけではなく、その顔もまた、破たんしている。

お前とは、俺である。
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