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社長とは呼ばないで(裏M.A.P.)

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帰る日に着いた日のことを語る

 
沖縄に着いた日のこと。

空港から、そのまま沖縄タイムスへ出来上がったCDを届けに行った。
受付の山田さんに、大丈夫でしたか?と言われて、夕刊の早刷りを見せられた。
「自衛隊機がパンク」
それで急遽嘉手納に着陸した民間航空機もあったという。
「なるほど、それで着陸してからあんなに待たされたのか」

琉球新報へ。
たっぷりと話は聞いてくれた。思いは伝わった。
「500枚売れれば次に繋がるのです。」
後は記事にしてくれるのかどうか…
「沖縄タイムスにもお願いしているのですが…」
「大丈夫ですよ…」
仲良くしてくれよ、と願う。

たくさんの沖縄の顔。
一筋縄ではいかない。覚悟はしている。

「アイヌ」とは人間という意味。
「シサム」は本来「隣人」という意味。
だが転じて「シャモ」となった時、その言葉には憎しみの相貌が帯びる。
他者と出会うということの意味。

沖縄も同じこと。
沖縄の人々は、どのように他者である「大和」と出会ってきたのか。

大城立裕氏の他者との関わり方を疑問に思う人たち。
作家・大城立裕に今さら光を当てようとする僕の企ては、もしかすると不幸の始まりなのだろうか。
ならば僕の企てなど、成功しないほうがよい。

萱野茂さんを思い出す。
萱野茂さんが開いた二風谷の民族資料館を批判する多くのアイヌ同胞たち。
「アイヌを見世物にして、まるでアイヌの代表のような顔をして、だからおれは、そんな萱野茂のいる二風谷が大嫌いなんだ」
そう言って故郷を捨て、遥か遠くの沖縄を放浪していたあのゲンちゃんは、今どこでどうしているのだろう。会いたい。ムショウにゲンちゃんに会いたい。

ゲンちゃんのことを記した過去のノートを前にして、僕はその扱いに困って沈黙している。

だが…
国会の質問がアイヌ語でなされるなどということを、いったい誰が予想できただろうか。萱野茂という人物がいなければ、間違いなく実現はしなかっただろう。
萱野氏のように振舞う者がいなければ、シサムがこのようにアイヌと出会うことはなかったということも事実なのだ。その出会い方に異を唱えるものがいるのだとしても。それが僕の大好きなゲンちゃんだとしても。

大城立裕という歴史的人物が今は亡きアイヌ萱野茂と重なる。

「カクテル・パーティー」の主人公「私=お前」は、ウチナンチュでありながらウチナーグチをしゃべることはない。そういう作品だからこそ中央の文壇に認められたのだとしたら、というか、そういう作品でなければ認められなかったとするならば、それは余りにつらいことだ。
「カクテル・パーティー」という作品が、沖縄の作家の作品として、最初に芥川賞を取ってしまったということ、それは沖縄にとって、実は不幸なことだったのかもしれないとも思ってしまうのだ。

だが、たとえそうだとしても、それは「カクテル・パーティー」の文学的価値を傷つけるものではない。断固として。
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